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ラブ・コール 4
「駿、ホテルのフラワーショップって、どこにあるのかな?」
ホテルの一階をぐるりと歩いても見当たらなかったので、スマホで確認してみた。
「ちょっと待て。おっと、ここじゃない。地下だ」
「地下? そういうものなの? 働く人も花も大変だね」
想の言葉はいつも慈愛で満ちている。育ちの良さから来るおっとりとしたものかもしれないが、けっして嫌味には感じない。
想は、清らかで穏やかな光だ。
二人で地下に降りるエスカレーターに乗ると、想が俺の方を向いてニコッと笑ってくれた。
「どうした? 随分とご機嫌だな」
「この時間が待ち遠しかったから」
「嬉しいことばかり言うんだな。まだ夢を見ているようだ」
「夢じゃない、現実だよ」
そう言い切る想は、カッコよかった。
『加々美花壇』は日本でも有数の花専門商社だ。 その直営ショップしかもホテルの中ということもあり、重厚な店構えだった。
「あ……さっきの人がいる」
「確か、葉山さんだったよな」
「うん……彼、とても綺麗だね」
白いワイシャツを腕まくりし黒いギャルソンエプロンをして、花の間をスッと動く彼のほっそりとした姿は、男性なのに可憐で美しく、ちょうど花束を作り終えたようで、明るい笑顔が眩しかった。
彼の周囲には地下なのに燦々とした明るい日差しが見え、草原の風が吹いているように感じた。
「よしっ! 想も彼に花束を作ってもらおう。俺からのプレゼントだ」
「えっ」
想が動揺している。
おいおい、そんな驚くなよ。照れるから。
「駿はずるいな。僕がしたかったことを全部しちゃうんだな。僕は少しテンポが遅いのかな?」
「そういう所も可愛いんだよ。想はそのままでいい」
「しゅ、駿……」
本心だぜ。
「あ、お疲れ様です。無事に終わったのですね」
「朝は本当にありがとうございます。お陰様で成功しました。これは今日発表されたばかりの新作ビールです。よかったらどうぞ」
手土産の融通を利かせてもらって、菅野と葉山さんの分ももらってきた。
「いいんですか……新作だなんて……家のものがビール党なので喜びます。菅野は今日は内勤なので、僕から明日渡しても?」
「良かったです。菅野にも宜しく伝えて下さい」
「えぇ、それで……僕と菅野からお祝いの花束を贈りたいのですが」
有り難い申し出に、想と俺は顔を見合わせて喜んだ。
「じゃあ……お言葉に甘えてお願いしても? 今回すごくお世話になった人に花束を渡したいんです」
「もちろんです。イメージを作りたいので、差し支えなければお相手のことを少し教えて下さい」
想はキョトンとして、俺を見つめている。
「相手は想のお母さんなんです。根を詰める息子を温かく見守ってくれた優しい女性です」
「しゅ……駿……そんな……悪いよ」
「想を最後まで見守ってくれたことを感謝したいんだ」
「いいですね。お母さんへの感謝の気持ちを伝える花束ですね。心を込めて作らせていただきます」
表情を引き締めた葉山さんは、美しい所作で花を迷い無く選び、あっという間に見事な花束を完成させた。白とピンクのやわらかな色合いのカーネーションが入った花束で、優しいお母さんにぴったりだ。
「カーネーションの他にバラやトルコ桔梗も入れてみました。お部屋に飾れば雰囲気がパッと明るくなりますよ」
「ありがとう。想、どうだ?」
「あ……すごい……お母さんが好きな花ばかり……あの、どうして分かったんですか」
「それは、あなたを見ていれば分かります。伝わって来るんです。注がれた愛情が……」
「ハーブの香りもしますね」
「えぇミントの葉も少し入れました。持って帰る時に……万が一また具合が悪くなったら、葉っぱを少し摘まんで嗅いで下さいね」
「何から何まで……お気遣いありがとうございます」
葉山さんは、心根の優しい人だと思った。
想の心も俺の心も、すっかり掴まれた。
「どうぞ、お祝いですので遠慮無く受け取って下さい」
「そんな悪いですよ。こんな立派なの……やっぱりお代は払います」
「それは……また次の機会に」
にこっと微笑まれたので、ここは厚意に甘えることにした。
「実は……菅野の同級生に会えて、僕も嬉しいんですよ」
「それを言うのなら、俺も菅野の親友に会えて嬉しいです」
「え……どうして……僕を親友と?」
「だって、ただの同僚じゃないでしょう? 息が合っていて、あたたかな信頼関係がハッキリ見えましたから」
「あ、ありがとうございます」
葉山さんもうっすら目元を染めていた。
優しい縁が生まれた。
彼は想の繊細な優しさを分かってくれる人だと思った。
朝、貧血で倒れたばかりの想を、一人で電車に乗せるのはやはり心配だった。
「想、家まで送るよ」
「改札で大丈夫だよ」
「今日はどうしても送りたい」
「でも駿が帰れなくなってしまうよ」
「明日はデートだろ? もういっそ江ノ島にでも泊まるよ。そうしたら朝から会えるだろ」
途端に、想が耳まで赤くする。
「駄目か」
「……嬉しい。嬉しいよ。ずっと会えなかったから……明日はずっと一緒にいたいんだ」
想が面映ゆい表情を花束に隠そうとしたので、ヒョイと覗き混んでやった。
「想、明日はずっと一緒だぞ」
「あ、あのね……そのつもりで……その……」
想が真っ赤になって、いよいよ消えそうだ。
「ふっ、深呼吸しろ。続きは明日、聞かせてもらうよ」
「あ、あのね……僕、駿を驚かせるつもりなんだ」
「だから、それじゃサプライズじゃなくなるって!」
「あ、そうだった。じゃあ秘密は明日ね」
「想は~、ほんと可愛いよな」
想、いつも愛している――
想のマンションの前で、俺は愛を囁いた。
耳元でそっと静かに……
駿、僕も愛しているよ――
想は目元を染めて首を少しだけ傾けて、淡い桜のように微笑んでくれた。
愛おしいという感情が、初夏の夜空にグングンと吹き上げていく。
ラブ・コールは今宵も鳴らすよ。
想のために、想だけのために。
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