72 / 161

ラブ・コール 5

 想は、随分遅いのね。  出掛ける時、顔色が悪かったから、どこかで貧血でも起こしてないか心配よ。身体の弱い私にそんなところまで似てしまったのかと思うと、申し訳ない気持ちで一杯になるわ。  ソファに座り数分置きに壁の時計を見上げていると、インターホンが鳴った。 「想!」  玄関を急いで開けると、主人が立っていた。 「あなた!」 「……私で残念だったか」 「いいえ! でもどうして?」 「もうすぐ赴任するからかな。最近……家族で過ごす時間が愛おしくなってな。私も歳を取ったか」 「嬉しいことだわ! 想ね、きっともうすぐ帰ってくると思うの」 「私の方が早いなんて、珍しいこともあるもんだ」  主人は機嫌が良さそうに、ネクタイを外しながら笑っていた。 「ひとりで行ってしまうの……やっぱり寂しいわ」 「一緒に連れて行きたかったが……今回が場所が場所だし情勢が悪いからな」 「気をつけて……どうか身体に気をつけてね」  そのタイミングで、玄関からカチャリを音がした。 「今度は想だわ」 「やっぱり嬉しそうだな」 「今日は特別頑張ってきたから」 「そうだったな」  玄関先に迎えに行くと、疲れた様子ではあるけれども、満ち足りた表情を浮かべた息子が立っていた。 「お母さん、ただいま」 「お帰りなさい。想、どうだった?」 「うん、大成功だった!」 「よかったわね、頑張った甲斐があったわね」 「お母さんのお陰だよ。あのね、これプレゼント!」  目の前に差し出された物は、可憐なそよ風のような花束だった。 「えっ……これ、どうして?」 「お母さん、あの……ずっと残業で遅くなった僕を支えてくれてありがとう。僕の体調を気遣って、いつも栄養のあるものを食べさせてくれてありがとう」  カーネーションに薔薇にかすみ草……  どれも大好きな優しい花で優しい色。 「綺麗! とても綺麗だわ。ねっ、あなた」 「え? お父さん、もう帰っているの?」 「想、お帰り。仕事、頑張っているんだな」 「あの……お父さんにはこれを」  想は重たそうな瓶の入った紙の手提げを、主人に渡した。 「これは僕が携わった新商品です。お父さんにいち早く飲んで欲しくて」 「ほぅ……『ラブ・コール』か、いい名前だな」 「商品名は駿の発案なんです」 「……駿くんって、あの駿くんか」 「はい、駿は別会社ですが、今回偶然にも共同開発事業で、一緒に仕事をしていました」  想がニコニコと嬉しそうに報告している。  今回の仕事の成功は、駿くんの影響も大きかったわね。  今まで以上に、想は頑張ったわ。  最大限の力を発揮していたわ。 「そうか、逞しくなったな、想」  主人も嬉しそう。  親なら誰もが思うことよね。  子供の頑張る姿、成長する姿は、いくつになっても嬉しいことよ。  花束には、想からの感謝の気持ちがたっぷり詰まっているようで、その香りと色合いに……どこまでも癒やされたわ。 「あら? ミントが入っているなんて珍しいわね」 「それは僕だよ、お母さん」 「まぁ」  甘い香りに包まれた清涼感。  若葉のような緑色の綺麗な葉っぱは、私の息子。  ****    風呂に入り自室のドアを閉めた途端、今までの疲れが一気に押し寄せてきた。  ベッドボードを掴んで、こめかみを押さえながら息を整えた。  ふぅ……今朝、貧血を起こしたばかりだ。  僕の場合……無理は禁物なんだ。  もう長年付き合った身体だから、自分のことは自分が一番よく分かっている。 「駿……ごめん」  駿への想いが、じわじわと溢れてくる。  僕を家の前まで送ってくれて、そのまま江ノ島に泊まると言う駿と離れたくなくて、一緒に付いていきたい衝動に駆られた。  でも、ぐっと我慢した。  一晩しっかり眠って、この弱った身体の状態を整えておきたかったから。 「せめて……声だけでも」  駿が毎晩のように鳴らしてくれたラブコール。  今度は僕がかける番だ。  ベッドに仰向けになって、天井を見つめて深呼吸した。 「もしもし、駿……」 「想! まだ眠ってなかったのか! 今日は疲れただろう。早く休め」 「眠る前に、どうしても声を聞きたくて」 「さっきまで一緒にいたのに?」  駿が僕を焦らす。 「ラブコールなんだ……これは」 「あぁ、ずっと想からのラブコールを待っていたよ」 「駿……あのね……やっぱりサプライズは我慢できそうもないから、先に言ってもいい?」 「あぁ、明日が楽しみになることならいいぞ」 「うん……実は……明日、葉山にあるホテルを取ってあるんだ。だから……その……明日のラブコールは耳元でするよ」 「そ、想……それって……それって……きっ、期待してもいいのか」 「うん……ちゃんと出来るか分からないけど……頑張ってみたい」  電話の向こうの駿が、固まっている。 「驚かせた?」 「当たり前だ! 想はやっぱりかっこ良くなったな」 「ふぅ……やっと言えた。駿、よく眠れそう?」 「無理っ!」 「くすっ……僕は明日のために眠っておくよ。おやすみ……大好きだよ」  大胆なラブコールだった?  でも素直な気持ちだよ。  僕たち、明日もう一歩進もう!  

ともだちにシェアしよう!