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ラブ・コール 7
海と山に囲まれた自然豊かな葉山には、美しい海岸が多い。
白い帆を張るヨットが連なるマリーナもあり、町全体が爽やかなイメージに包まれている。
想が案内してくれたホテルはマリーナの海岸沿いにあり、丸みを帯びた外観が印象的だった。
「駿、ここが……その……僕たちが今日泊まるホテルだよ」
車から降りると『葉山・星と海のホテル』というプレートが目に入った。
へぇ、想みたいに美しい名前のホテルだな。
星も海も、想にはよく似合う。
高校時代、想が天文学部だったのを思い出した。よく帰り道に、夜空の星の話をしてくれたよな。今宵もしてくれつもりなのか。
「まるで、ここが灯台みたいだな」
「この前お母さんとドライブした時にこの道を通って、気になって調べたんだ。いつか……駿と来たいなって」
「想、それって嬉し過ぎる」
お母さんとのドライブ中に、俺を思い出してくれるなんて。
想の中の『いつか』が、こんなに近い未来だったなんて。
「その……突然で驚いた?」
「辺り前だろう! 一体いつの間に……覚悟したんだ?」
おっと、聞き方があからさま過ぎるぞ。
想が目を見開き、狼狽えてしまったじゃないか。
「えっと、それは……その、おいおい……とっ、取りあえずチェックインは15時だから……」
「海に行こう!」
「でも、僕たちスーツだよ?」
「今日は仕事じゃないんだ。多少汚れても平気さ! 何なら着替えを買えばいいさ」
そう言うと、想の表情が少し曇ってしまった。
「そうか……そうだよね。僕はいつも慎重過ぎるよね。ついあれこれ余計なことばかり……悪い癖だよ」
「ん? 何言ってんだ? それが想のいい所だろう?」
「えっ、僕のいい所?」
「俺は想のそういう部分も好きだ。それってある意味、自分も相手も大切にしているってことだろう」
想がいよいよ不思議そうに首を傾げる。
「言っていることが……だって、僕のこの気弱な性格のせいで10年前に……」
「それはもう言うなって! 見方を替えれば、慎重になるのは自分を大切な存在だと認めている証拠だし、考え過ぎるのは相手を大切だと思っている証拠だ。どっちも想が想であるために大切なことだ」
「そんな風に考えたことは、一度もなかったよ。僕はただ意気地なしで優柔不断だと……」
「想のそういう所も含めて好きになった。俺にないから余計にな。それにこの10年……長かったようで、あっという間だった。想がいい男になっていてびっくりしたぞ」
「しゅ……ん、ありがとう。ありのままの僕を好きになってくれて……」
想が今にも泣きそうな顔をする。
お、おい。まだ泣くなよ。
ここは人通りが多いから、抱きしめてやれない!
「僕ね……駿の明るく前向きな所が大好きだよ。いつも僕を引き上げてくれて……僕は駿のおかげで顔をあげられた」
初夏の海風が、想の柔らかな髪を優しく揺らしている。
明るい日差しを浴びた想の笑顔は、とびっきり可愛くて……正直……参った。
「はぁぁ……俺、お預けを食らった犬みたいだ」
「え?」
「いや、こっちの台詞。さぁせっかく海に来たんだ。足を浸してみようぜ」
「うん! そうだね」
俺たちは革靴と靴下を脱ぎ捨て、裸足になった。
スラックスをたくし上げて浜辺に立つと、砂がサラサラと足の上を転がった。
あぁ、まるで星屑のようだな。
「わっ、冷たい!」
「目が覚めた?」
「あ……寝坊して、ごめん」
「いいんだよ。寝起きの顔も可愛かったし、それに想のお父さんにも挨拶できたしな」
「驚いたよ」
「心の中で挨拶しておいた。想とのことを報告しておいた」
「しゅ、駿」
まだ心の中だが、いつかはちゃんと挨拶したい。
波打ち際を、肩を並べて歩いた。
振り返ると二人の足跡は見事に波に攫われていたが、俺の横には想がいる。
もう、それで充分だ。
俺にとっては、今が大切だ。
今とこの先を、想と生きていくのだから。
「ところで日が暮れるまで、このまま歩き続けるつもりか」
「えっ」
想は緊張しているのか、さっきから押し黙ったままだ。
「俺、腹ぺこだ。何か食べに行こうぜ!」
「あ、確かに……」
来た道を、想と軽く走って戻った。
軽やかに戻れるのは、今、二人の心が揃っているから。
「駿、待って」
「大丈夫か」
「うん! 今日はとても調子がいいよ」
想の元気そうな様子に、密かに安堵していた。
今日は、大丈夫そうだな。
酒は飲ませないぞ。
素面で向き合いたいんだ。
俺たちの初めてだから。
チェックインまで、あと3時間。
心の中で、カウントダウンが始まっていた。
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