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スタート・ライン 6
空に向かって次々と飛び立つ機体を、三人で静かに見上げていた。
「……あなた、そろそろ時間ね」
「あぁ、行かないとな」
あっという間に土曜、父が中東に赴任する日になってしまった。
何度も海外出張を繰り返した父なのに、今回は違う。
見送りも、旅立ちも、名残惜しさで一杯だった。
「帰国は早くても三年後だそうだ。もっと長くなるかもしれない。とにかく現地に行ってみないと分からない」
「……そう、なんですね」
正直とても長いと思った。せっかく父と心が通い出したのに、このタイミングで離れてしまうのは寂しい。だが物理的な距離はどうしようもない。
「想、留守中、母さんを頼む」
「はい、僕がお母さんを守ります」
「……想もくれぐれも健康に留意して過ごすんだよ」
「はい」
「二人とも元気でな」
「あなた……うっ……」
母は涙ぐみ、父と見つめ合った。
夫婦の愛情が、優しく絡みあっている。
それから父は僕を見て、一呼吸置いた。
「……想……行く前に確認したいことがある」
「はい、何でしょうか」
「……想を支えてくれる人は……駿くんで……合っているか」
まさか、ここで駿の名前を出されるとは思わなかったので驚いたが、その通りなので素直に頷いた。
「……はい、そうです。僕は駿と人生を歩んで行きたいです」
「うむ……それを聞いてホッとしたよ。行く前に大切な息子を任せられる人が見つかって安堵した。想の好きなように生きて欲しい。お前が健康で笑って、幸せそうにしてくれるのが、私達にとっては一番なんだ」
父の言葉は、母と全く同じだった。
僕は胸が一杯になり、思わずお父さんに抱きついてしまった。
「お……お父さんっ……お父さんっ」
「想、おいおい、小さな子供のようだぞ? いや、こんなこと……初めてかもな」
父はいつも強くて大きすぎて逞しすぎて、ひ弱な僕は、どうやって甘えていいか分からなかった。
「僕はずっと……お父さんの息子です。どうか、どうか……お気をつけて」
「あぁ私の自慢の息子だよ。じっくりゆっくりでいい。想のペースを大切にするんだぞ。駿くんと仲良くやっていくんだぞ」
まさか旅立ちの日に、こんな言葉を置いてもらえるとは。
一昨日、思い切って駿に会ってもらって良かった。
父が腕時計をチラッと確認する。
そろそろ時間のようだ。
「よし、ギリギリ間に合ったな」
父が僕の肩ごしに誰かに話し掛けたので不思議に思って振り返ると、そこには駿が息を切らせて立っていた。
え? どうして駿が……お父さんが呼んだの?
「すまんな。突然……」
「いえ! 見送りを許していただいて嬉しかったです」
「行く前に伝えたくて……想をどうかしっかり支えてやってくれ」
シンプルな言葉は、信頼の証し。
父が駿の肩に手をあてて、祈るような表情を浮かべた。
「頼む……最愛の息子なんだ」
「支えます、支え合います。俺たち……」
僕はこんなにも両親に愛され、同性を愛することも理解してもらえて……
なんて、なんて……幸せなのだろう。
「お父さん。僕……僕は……」
勇気を出そう! 今、ここで伝えたい!
「駿を愛しています」
「俺も想を愛しています」
駿と僕の言葉が、綺麗に並んだ。
出国ロビーで突然の恋人宣言に、両親は臆することなく微笑んでくれた。
「あぁ、知っているよ」
「えぇ、知っているわ」
「ようやくハッキリ聞けたな」
「えぇ、スッキリしたわ」
なんだか拍子抜け……
「さぁ私はもう行くよ。駿くんの事は、お母さんから聞いていたんだ。想の口からも、ちゃんと聞けて良かったよ。駿くんも元気で、想をよろしく」
「はい! お父さんもお元気で」
「……お父さんか……うむ、悪くはないな。続きは帰国したらの楽しみだ」
「はい!」
最後は涙の別れになると思ったのに、違った。
とても明るい雰囲気で、父は歩き出した。
父の背中が見えなくなるまで、僕は手を振り続けた。
最後に……
いつもは振り返らない父が、愛おしそうに目を細めて人差し指と中指をクロスし見せてくれた。
「想、Good Luck!」
父の声が、心に届く。
その声に反応するように、僕の頬に涙が伝った。
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