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スタート・ライン 7
轟音と共に座席が傾き、飛行機が浮遊する。
いよいよ出発だ。
今頃、三人は展望デッキで、この白い機体を見送っているのだろう。
こんなに名残惜しい出国は、初めてだ。
不覚にも涙が溢れそうになり、私の中にもこんなにやわらかな感情があったのかと驚いた。
私は幼い頃から大学まで、常に体育会系の部活に属していた。
常にキャプテンの座に辿り着けた私には、人の先を走ることは得意でも、誰かに憧れたり、共に歩むのは苦手だった。
だから想が生まれて、少し戸惑った。
生まれつき……想は繊細で透明感のある赤ん坊だった。
妻に似た優しげな顔立ちは、たびたび女の子と間違えられたし、成長するにつれ性格的にとても内向的で、誰かの上に立ったり輪の中心になるようなタイプでないことにもすぐに気付いた。
そこに重度の小児喘息を発症し、学校に馴染めず、健康のことも考え……小学校を転校することになった。
まだ若かった私にとって、それは理解し難いことで、悩んだ。
勝ち進むことだけが、人生ではない。
そう悟れるようになったのは、いつからだろう。
50代になってからだろうか。
重たい機体が雲を突き抜けると、青空が広がっていた。
窓の外に目をやると、どこまでも青い空に白い雲が寄り添っているように見えた。
「……まるで駿くんと想みたいだな」
青い服ばかり着てくる男の子と想が仲良しになったと妻から聞いたのは、もう随分前だ。
休日も出社やゴルフなどの付き合いで、ほぼ家にいなかったので、駿くんに会う機会はなかなか巡ってこなかった。
ずっと妻からの話が頼りだった。
とても活発な少年でクラスの中心的存在で、サッカーに夢中だと。
それは、かつての私のようだ。
何故そんな元気な子が、大人しい想に寄り添っているのか興味が湧いた。
だが私はろくに彼を見ることもなく、高校3年生の夏という微妙な時期に、想を連れて家族でアメリカに赴任する決断をした。
想には、有無を言わせなかった。
病弱でか弱い息子には、両親が揃ってケアしないと駄目だと思い込んでいたのだ。
当時、駿くんのことで想が悩んでいたことなど露知らず。
アメリカで暮らすようになって、想が明らかに情緒不安定になった。
どうしたのか聞いてやることも出来ない自分が、歯痒かった。
もっと歩み寄りたいのに、デリケートな息子にどう接していいのかさっぱり分からない。強さには強さで対抗してきた人生だったから。
妻から最初に想が駿くんを思う気持ちが友情以上だと聞いたのは、いつのことか。
最初は驚いた。
仕事柄、海外出張も多く、いろんな人種と接する機会が多かったのである程度の理解はあったが、自分の息子となると……正直戸惑いの方が強かった。
ますます自分の息子が分からなくなった。
だが想はそこから変わった。
妻に告白してから、生まれ変わった。
前向きになり、積極的になり、体力を付けるために運動も始めた。
最初は男らしくなってきた想に満足し、このまま普通に恋愛して女性と結婚して子供を授かるというレールを敷いてやりたくなった。
だから駿くんとのことは、正直……アメリカにいた時は最終的には理解は出来なかった。
では、どこで方向転換出来たのか。
就職してイギリスに行ってしまった想が日本に帰国し、再び湘南のマンションで一緒に暮らすようになってからだ。
幼い頃と同じ場所に立つ、想の成長ぶりに驚いた、
駿くんのために成長した姿は、私が憧れるほど、凜々しく芯が通っていた。
誰かに憧れたことなどない私が、息子の筋が通った生き方に初めて憧れたのだ。
妻と銀座に行き日比谷のホテルに宿泊した時、二人が本格的に付き合い出したと聞いた。
だが、もう驚かなかった。
それがいい。
息子をあそこまで変えてくれた駿くんになら、委ねてもいいと思えた。
肩の力が抜けて、想をありのまま受け入れることが出来たのだ。
「駿くん、よろしく頼む」
この手で、息子を託せて良かった。
今、私はボールを抱えて、青いグランドを走り抜けた後のような爽快感! エンドゾーンでタッチダウンした時のような達成感に包まれている。
想、駿くんと幸せになれ!
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