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大切な人 1
「お母さんにお願いがあって」
「今度はなあに?」
「今度の日曜に、ピクニック用のお弁当を作ってもらえないかな? 僕も手伝うから」
「あぁそうだったわね。駿くんの実家方面にお友達と遊びに行くのよね。もちろん、いいわよね」
「あとね、一緒に行く人達には8歳の男の子がいるんだ。だから……」
「ふふっ、じゃあ可愛くて食べやすいのがいいのね」
想が嬉しそうに頷く。
「そうなんだ。お母さん、どうもありがとう!」
想の頼みは、いつも誰かのためなのよね。
物欲のない子だけれども、誰かのためのお願いだけは昔から一生懸命だったわね。
そんな優しいお願いを、私が断わるはずないわ。
それに想の新しいお友達のために、私も腕を振るえるのが楽しみよ!
「後ね……お母さんもよかったら一緒に行かない?」
「えぇ?」
どうして私まで?
「駿は先に実家に戻っているから車に乗れるし、お母さんも一緒に遊びに行きたいんじゃないかなって」
「それはもちろん嬉しいけれども……あなたのお友達にとってお邪魔じゃない?」
「それは大丈夫だって」
私だって一緒に行きたいのは山々だけれども、息子の交友関係に顔を突っ込むつもりはなかったのに……本当にいいのかしら?
「正確には葉山くんが是非そうして欲しいって。彼の詳しい事情は分からないけれど……僕が青い車の助手席にお母さんを乗せているのが見たいんだって、だからお願いします」
「……そうなの? 私でお役に立てるのなら」
そんな約束をして、当日を迎えたわ。
想が英国から私の誕生日に贈ってくれた、太い柳をイギリスの柳職人が丁寧に手作業で編み込んだトランク型バスケットに、サンドイッチを沢山詰め込んで出発したわ。
待ち合わせの駅で、背の高い凜々しい男性と、お父さんによく似たクリクリとした瞳の坊やと、想みたいに優しい雰囲気の可愛い男性が仲良さそうに立っていたわ。
「はじめまして。葉山瑞樹です。今日は無理を言ってすみません」
清楚な顔立ちの優しい男性の顔を見て、あら?っと思ったの。
「あなたに……どこかで会ったような」
「あ……もしかして以前、加々美花壇にお花を買いにいらしてくださったのでは?」
「まぁ、あの時の」
「はい、加々美花壇でフラワーアーティストをしています」
「そうだったのでね。えっと、こちらは?」
「申し遅れました。滝沢宗吾と息子の芽生です。俺は瑞樹のパートナーです」
「こんにちは! たきざわめい、8さいです」
「まぁ利発で可愛いお子さんね。私は、そうくんのママです。どうぞよろしくね」
同性のカップルのご家族だとは事前に聞いてはいたけれども、とても自然でお似合いだったので、ほっとしたわ。
当たり前だけど……同性で付き合っているのは、世界で想と駿くんだけじゃないのね。
こんなに素敵な人達もいるのね。
私の知らない世界を、想がさり気なく見せてくれている気もしたわ。
「葉山さんは、何か青い車に何か大切な思い出があるのね」
「えっ」
葉山くんが少し困った顔になってしまった。
「ごめんなさい。余計なことを聞いてしまったのね」
「いえ、僕の叶わなかった夢だったので。もしも現実だったらどんな感じなのかなって……すみません、変な頼みをしてしまって」
「とんでもないわ。私こそお邪魔虫みたいについて来て。あの、本当に助手席に私が座ってしまっていいの?」
「そうして欲しいです。ぜひ」
彼の『叶わなかった夢』という言葉が、心にひっかかった。
きっととても悲しい思い出なのね。
今はもう掘り返さない方がいいのね、きっと。
ただ、静かに見守ってあげたいわ。
車の中で葉山くんは穏やかに小さなお子さんに相槌を打ったり、窓の外を眺めては、最後に必ず私と想の様子を眩しそうに見つめた。
もしかしたら会いたくても会えない人と、私を重ねているのかもしれない。
想には私がいるけれども、この青年にはもしかしたら。
想が運転しながら控えめに口を開く。
少し緊張した横顔だわ。
「……葉山くん……あの……君のこと『瑞樹くん』って呼んでもいいかな」
「あ……僕も同じこと言おうと思っていたんだ。『白石くん』だと堅苦しいので『想くん』でもいいかな?」
「も、もちろん。嬉しいよ」
「想くん、君と仲良くなれて嬉しいよ」
「あ……僕も同じ気持ち……」
驚いた。
想からの思い切った歩み寄り。
それに優しく応じてくれる瑞樹くんの人柄の良さ。
なんて、なんて、あたたかいの。
これは私がずっと見たかった光景よ。
都内の小学校に通っている間、想は下の名前で呼んでもらえることはなかった。
もともと内気な子で友だちを上手に作れなかったのに加えて、夏休み中に酷い発作で入退院を繰り返してしまったせいで、二学期に蒼白な顔と真っ白な身体で登校しら、『まっしろオバケ』とあだ名をつけられ揶揄われるようになってしまったの。授業参観でそれを耳にした時はショックだった。
想は何も言わなかったけれども、どんなに悲しく、どんなに寂しかったことか。
想はどんどんクラスから浮いてしまい、いじめの兆しもあって、結局主人と相談して気候の良い湘南への転校を選んだの。
そんな中、転校して初めて『想』と下の名前で親しみを込めて呼んでくれたのが、駿くんだったわ。
あぁ……こんなの、あの時以来だわ。
想の呼び名で、こんなに感動したのは!
想という名前は、主人と想いを込めた大切な名前なの
「周りの人を想える人になって欲しい」とい願いを込めた大切な名前よ。
「想くんって、良い名前だな。懸想人の想だしな」
「パパ、けそうびとってなあに?」
「おばあちゃんがたまに使っているが、まぁつまり大切に想う人のことさ」
「わぁ、じゃあ、お兄ちゃんのこと?」
「はは、まぁな。想くん、俺たちも君をそう呼んでもいいか」
「も、もちろんです」
「そうくーん」
小さな坊やが大きな声で「そうくん」と、また呼んでくれる。
まるで時が戻ったみたい。
8歳の想がそこにいるみたいで、自然と涙が溢れてきてしまうわ。
「そうくん、あとで、あーそーぼ!」
瞬きをしたら、優しくて嬉しい涙が頬を伝ったわ。
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