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大切な人 9
「想、ちょっと疲れたみたいだな」
「……そうかな?」
駿が僕の額に手をあてて、心配そうに見つめてくる。
「熱はないか。冷えて来たから、そろそろログハウスに戻ろうぜ」
「……もっと遊びたかったな」
後ろ髪を引かれ、つい子供みたいに呟いてしまった。
「想……また遊ぼう! 何度でも叶えよう!」
「うん!」
南風がいつの間にか北風に変わり、冷たい風が吹き付けてくると、確かに疲れが出て来た。瑞樹くんたちを乗せての運転、慣れない外遊び、全部僕がしたかったことなのに、身体がついていかないのがもどかしいな。
「想……ゆっくり行こうぜ。思いっきり遊んだのだから、疲れるのは当然だ」
「ありがとう」
横を歩く駿がさり気なく北風の盾になってくれるのが、照れ臭くも嬉しかった。
「寒そうだ、もっと寄れよ」
森を出る手前で、優しく肩を抱かれた。
体温を分けてもらう。
駿には弱い部分を隠さないでいい。僕の身体の些細な変化を僕以上に気付いてくれるのが好きだ。だから駿から受ける愛はどんな方向からでも心地いい。
心のままに受け入れて行くよ。
「あ……あの落ち葉のベッドはどうする? 片付けないと」
「大丈夫さ! ここは森の自然に任せよう」
「そうなんだね。あっでもちょっと待って……」
僕も自然に任せよう。
これからはまだ弱さが残る身体も、自然に受け入れて生きていこう。
ログハウスに戻ると、先に戻っていた芽生くんが瑞樹くんと宗吾さんの間でふぅふぅと可愛くココアを飲んでいた。
頬を染めて幸せそうだね。愛情というものを一心に受ける様子に、僕の心もポカポカになるよ。
僕も両親にあんな風に愛されている。それは今も昔も変わらない。
「外は寒かったでしょう。あなたたちもココアを飲みなさい」
駿のお母さんに渡された大きなマグカップを両手で包むと、冷えた身体も温まってきた。
「あら、想ってば……髪に落ち葉がついているわよ」
隣に座っていたお母さんが、僕を見つめて微笑む。
その笑顔につられて、芽生くんみたいに甘えてしまった。
「お母さん、取って」
あっ……いい歳をして、皆の前で恥ずかしいことを言ってしまった。
でもそこにいる人達は誰も嘲笑したりせず、ただ温かく見守ってくれた。
「まぁ想ってば、うふふ」
お母さんは嬉しそうに、落ち葉の破片を取ってくれた。
「よく遊んだのね」
「うん、落ち葉のベッドを作って、そこに寝そべったりしたんだ」
「良かったわね」
「また遊ぶって約束をしたんだよ」
「良かったわね、本当に良かったわ。想……」
****
リビングの窓辺に立つと、子供たちの賑やかな声が森から聞こえてきた。
とっても楽しそう!
あの中に想もいると思うと、 それが嬉しくて。
遠い昔、こんな風に都心のマンションから色づく紅葉を眺めていたわ。
……
「由美子、神宮外苑の紅葉は今日が見頃らしいぞ。今から想をつれて行ってみないか」
「……駄目よ。やっと発作が収まったばかりなんだもの」
「そういうものなのか。今日は暖かいし良く晴れているのに……何でも駄目って」
主人はいつも想を外連れ出して一緒に遊びがっていたけれども、私は外遊びへの恐怖を抱いていたの。
運動は喘息の発作を促す可能性があるのよ。一度発作が起こると気道が炎症を起こし、肺の筋肉が収縮して呼吸が困難になってしまうの。万が一処置が行われなければ、重篤な場合は死に至ることもあるから怖いの。
喘息をまだコントール出来ない小さな想には、無理なことなのよ。
あの子は外の世界に憧れているの。だから……今連れ出したら思いっきり走り出してしまうわ。
「想と落ち葉で遊んだら楽しいだろうに……せめて生で見せてやりたいな」
悔しそうに呟く主人に、かける言葉はなかった。
私だって、同じ世代の子供たちのように外を駆け回る息子を見たかった。
でも想が生きていくためには、今は大人しくするのが一番なのよ。
どうか分かって……きっといつか叶うから。
「ちょっと出掛けてくるよ」
「パパぁ……」
大人しい想が珍しく、主人のコートの裾を引っ張った。
一緒に行きたいのよね、想だって……
「……想は駄目なんだよ」
「……うん」
まだ幼い想はパタンとしまる玄関をじっと見つめて、瞳を潤ませていた。
「コン、コン……」
「あらあら、またお咳が出て来たわね。少し寝ないと」
「はぁい」
大人しく内気な想は、いつも素直に言うことを聞いてくれる。
「僕も外に行きたい」と暴れたり泣いたりもせずに、自分からベッドに横になり、静かに目を閉じた。
「想……眠いの?」
「ううん……でも、ねないと……だめだから」
「うっ……」
夕方帰宅した主人の髪には、落ち葉の欠片がついていた。
「あなた、ひとりで紅葉を見てきたの?」
「……綺麗だったが……寂しかったよ」
その言葉に導かれるように、手を伸ばし欠片を手に取った。
「まぁ本当に綺麗に色づいていたのね。この葉っぱ、想に見せてあげましょう」
「それならこっちを」
主人のポケットからは、銀杏の葉がたくさん出て来た。
……
「そうだ、お母さん、これを」
想がポケットから取り出したのは、黄色い銀杏の葉だった。
「あら? まだ10月なのに紅葉していたの?」
「お母さん、銀杏が好きだから……これだけ特別早く紅葉してくれたのかも。だからお土産だよ」
甘く微笑む息子の笑顔に、涙が滲んだ。
「もう、想ってば、泣かせないで」
「そんなつもりじゃ……自然のお土産……僕もしてみたかったから」
「ありがとう。これ、お父さんにも見せたいわね」
「うん、僕もそう思ったよ」
あなた……想はね、もう待っているだけの子供じゃないんですよ。
私に小さな秋を運んでくれるようになりました。
この感動を、今すぐ届けたいわ!
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