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新しい生活 2
「想、私が交代するわ」
「はい、お母さん」
空港の雑踏の中、お父さんの車椅子を、お母さんが押した。
大柄なお父さんの座る車椅子を小柄なお母さんがちゃんと押せるのか心配になったが、杞憂に終わった。
動きがスムーズだ。
もしかしてどこかで練習したのかな?
僕がカイロで過ごした1ヶ月間、お母さんはお母さんで、泣き暮らすのではなく、意志を持って前向きに過ごしてくれていた事が伝わり、じんとした。
周囲の人が同情の眼差しを向ける中、お父さんは顔をスッとあげ、お母さんはお父さんを見つめては微笑んでいた。
二人の姿は正々堂々としていた。
それでいて仲睦まじく暖かみもあって、最高に素敵だね。
僕はこの二人の息子なのが、誇らしいよ。
空港にはお父さんの会社の方も迎えに来ていたが、お父さんは手短に用件だけを話し、お母さんに「さぁ帰ろう」と促した。
車椅子がゆっくり動き出すと、止まっていた時も一緒に動き出したようだった。
駿が手配してくれた車椅子対応のタクシーで、真っ直ぐに鵠沼の自宅に帰宅した。
お父さんは長いフライトで疲れているのに車中では眠らず、ずっとお母さんを見つめていた。お母さんもお父さんを見つめ、二人はそれからそっと手を握りあっていた。
この二人は愛しあっている夫婦なんだなとしみじみと思う。
実に2年ぶりの触れ合いだ。
お父さんもお母さんも、歳なんて関係ないのだね。心の中は僕と同じだ。
好きな人を好きと想い、愛しい人と触れ合いたくなる気持ち、僕にもよく分かるよ。
自宅に戻ると流石にお父さんは疲れたようで「横になりたい」と。
だから僕と駿で手伝ってベッドに寝かせた。幸いなことに僕のマンションはゆったりとした間取りなので、車椅子での移動は想像よりスムーズで安心した。
駿がリビングに戻ると、お父さんが僕を呼んでくれる。
僕もお父さんの傍に行きたかった。
「想、こっちにおいで」
「お父さん、改めてお帰りなさい」
「あぁ2年ぶりの我が家はいいな、落ち着くよ」
「はい、ここに帰って来てくれて嬉しいです」
「想とお母さんと私が揃って、やっと元通りだな」
「はい、その通りです」
その言葉を噛みしめる。
お父さんが消えてしまったらと考えると、本当に怖かった。
それまで当たり前のように存在した幸せが、一瞬で消える恐ろしさを体感した。
「想、聞いてくれ」
「はい」
お父さんは真剣な眼差しだった。
「想、お父さんの足は思ったより厄介だ」
「……はい」
「また歩けるようになる保証はない。全てはリハビリ次第だ」
「はい……」
「だが、お父さん頑張るよ!」
「お父さん……」
「想が頑張ってきたように、お父さんも努力するよ」
お父さんの言葉に胸が熱くなる。
僕は旅立ちの日にお父さんから受けたエールのお陰で頑張れた。だから僕もエールを送りたい。
「お父さん、頑張って下さい!」
「あぁ、想の応援があれば頑張れる。あの日のように」
「……?」
「これを覚えているか」
お父さんは胸元からボロボロの四󠄁つ折りの白い紙を取りだした。
「あっ」
「小さなお前が描いてくれた絵だよ」
「こんなもの取って……?」
「ずっとお守りにしていたんだ」
それは……僕が幼い頃、出張に行くお父さんに描いた絵だった。
小さな僕が青と白の旗を振っている。
その横には『フレーフレーおとうさん』とたどたどしい文字が添えられていた。
「お父さんってば、こんな絵をずっと持っていてくれるなんて」
「お前は幼い頃の方がもっとフランクに話してくれたな」
「そうでしょうか」
「想、時間はたっぷりある。私達はもっともっと歩み寄ろう」
「はい、そうしたいです」
お父さんの大きな手が僕の頭に、最初は控え目に触れた。
その後は、優しく温かく……何度も何度も撫でてもらった。
緊張の糸が解れた僕はお父さんにもたれるように、いつの間にか眠りに落ちていた。
****
「駿くん、私の所に来てくれ」
想とお父さんの時間を優先させてやろうとリビングに戻り、淹れて貰った珈琲を飲んでいると、お父さんから連絡が来た。
なんだろう? わざわざスマホを使って呼ぶなんて。
訝しげに部屋を覗くと、想がお父さんの膝に頭をのせる形で眠りに落ちていた。
「お父さん、何ですか」
「あぁ……しっ、静かに」
「想……やっと眠れたのか」
「この子は……頑張り屋だからずっと気を張っていたのだろう。自分の部屋で寝かせてやってくれないか」
「了解です」
想の肩を揺すって起こそうとすると「おいおい、それは違うだろう」と笑われた。
「想を起こさないように連れて行くのが、恋人の役目だろう」
「えっ?」
お父さんから面と向かって「恋人」と言われて照れまくっていると、また笑われた。
「想はな……お父さんも駿くんもどっちも好きらしいよ」
「え?」
「ははっ、まぁそういうことだ」
想のお父さんは見た目よりも、愉快な人なのかもしれない。
親近感が増す会話だった。
俺は今度は躊躇わずに想を横抱きにして、グイッと持ち上げた。
「頼もしいな、頼んだぞ」
「はい!」
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