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第5話 野犬のような男②
押しのけようにも、両手を取られてはかなわない。やがてぬらぬらとした舌先が口唇を割って入り込んだ。体がまたひくっと跳ねた。
どうしてこんなことをするのだろうか。
これは何かの罰なのだろうか?
「ぅっ……」
次は奥まで深々と舌が侵入する。口内を激しく掻き乱された。
「ゃ……んんっ……」
角度を変えて執拗に口づけを交わされる。知らない男の舌を受け入れるなど気持ち悪いはずなのに、なぜだかそればかりではなかった。
「甘い……」
ちゅううっと口の中を吸われ飲み干される感覚がする。麻薬でも盛られたように、ジンと頭の芯が痺れて力が入らない。
拒みたいのに、拒みたくない。ずれた唇の合わせ目から溢れた唾液がつうと垂れた。
ぼうっとして視界が霞みだす。背中に柔い感触がする。いつのまにか草の上に組み敷かれていた。
服の裾をまくり上げてきた手が太ももに触れるぬるい感触に、やっと少しだけ意識を取り戻した。
これはきっと良くないことだ。自分は今、とても悪いことをしている。そう思った。
『外は危のうございますゆえ、私から離れてはなりませぬぞ──』
頼りにしているひとの声が蘇る。
もともと今日のこの日に外出したいと言い出したのは儚那だった。祭りの日は人の出も多く危険だからと、蘇芳がしぶるのを無理に押し通したのだ。
だからきっとこれは天罰なのだ、わがままな自分への天罰。でも。
「す、お……っ」
このままここで殺されて、二度と会えなくなるなど嫌だ。いかに罰でも、それはつらすぎた。
「……や、だ、……やめ、やめて……っ」
「聞いたことがある。Ωの女の体液は、媚薬のように甘く痺れるとか……」
ちゅう、とまた強く吸いつかれ、視界の景色がぐらりと揺れた。
男の指先が足の付け根の奥に触れる。はっとして喉が開いた。
「や、だっ、やめ、だれかっ……蘇芳っ!」
やっと大きな声があがる。
ザザッ、と葦草が揺れた。
「……離れろ下郎!」
ヒュン、抜刀する音とともに鋭い刃が草を薙いだ。間一髪に飛び退いた男の腕から僅かな血液が飛び散る。
「蘇芳っ……」
「ご無事ですか!」
こくこくと頷く儚那を自らの背に隠すと、蘇芳は刃先についた血を振り払い剣を構え直した。
「なんだ随分と物騒な護衛付きだな」
男が顔を上げた。剣を向けられているというのに余裕のある声だ。
「その服、おまえ王宮の役人か……?」
探るように蘇芳を見ると、男はニヤリと笑んだ。
「下郎、一度だけは見逃してやる。俺の気が変わらぬうちにとっとと行け!」
蘇芳が怒号をあげる。儚那は驚いた。見た目は鋭利だが、その実いつも優しく穏やかな彼がこんなに猛々しく剣を振るい、声を張るのを初めて目の当たりにしたからだ。
常には自分を私と呼称する蘇芳が、激昂すると俺に変わることも知らなかった。
恐ろしい男はなおも笑みを消さず、
「じゃあな。会いたくなったらいつでも来いよ、儚那」
立ち上がり膝についた草を払うと、鷹揚な足取りで葦原の奥に消えていった。
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