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第13話 兆候と赤い月③

「お前……」  首から脇腹までを服越しに触れてから、男はしげしげと儚那を見下ろした。 「ぜんっぜん胸がねえな。もう少し食った方がいいんじゃねえのか」 「いっ!」  うかつだった。胸は触られても恥ずかしいという感覚がないだけに気が付かなかった。 「わっ」  ひょいと脇から体を持ち上げられ、男の腰を跨ぐように座らされた。 「ひっ……」  座り込んだ下の方から、ぐいぐいと服を押し上げてくるものがある。自分にあるものとは比較にならない、まるで武器のような存在感だ。  寝巻きの裾から入り込んできた大きな手が、太ももから這い上って儚那の尻をつかんだ。 「だ、だめっ!」    つかまれた手を払い除けようと両手で押し返す。 「何がだめなんだよ」 「いやっ、だからそのッ!」   これ以上は知られたくないから触れるなとは言えず、   「そこまではその、出来ない!」 「はあ?」  「あ、会っても、そこには、触れないで……」  必死の抵抗で何とか手を押し戻した。  男はポカンと口を開けた。 「ここまで来ておいて? 冗談じゃねえ」  冗談じゃないのはこちらの方だ。   「誰かに(みさお)でも立ててんのか」 「えっ?」 「ああ分かった、こないだ一緒にいたやつだろ。あの、なんか、物騒なやつ」  こないだ一緒にいた物騒なやつ。蘇芳のことを言っているのだろうか。  「そ、……」    そうだと言ってしまえば良かったのに、あのあとアレコレされた顔や手や眼鏡が思い出されてカァッと頭に血がのぼり、 「ちっ、違うっ、あれはそんなんじゃないっ!」     思わず否定してしまった。 「違う? ならなんだ、怖いのか」 「へっ!?」  怖いのか。怖いかと問われたらそれはそうだ。ブンブンと大きく頷いた。 「なるほど? じゃあお前、まだ男を知らないのか。へえ……」  なにやらゾッとする笑みを浮かべると、すり、と儚那の頬を人差し指の腹で撫で、 「そういう女を慣らさずに抱いて、散々泣かせるのも愉しそうだ」    怖そうなことを言った。  具体的にどういうことかはよく分からないが、しかしとにかく痛そうな。  よもや、腰の下のこの武器のようなもので何かをどうにかする気だろうか?  それは怖い。怖すぎた。      泣きそうになって縋るように見上げると、ややあって男はおかしそうに吹き出して、 「しょうがねえな。まあいいよ、お前の言うとおりにしばらく付き合ってやる」  「えっ」 「だが」   ザザザァッと揺れる葦原を見つめ、 「どうも今夜は、ハイエナより面倒なのが二、三いるようだな」  葦草の吹きすさぶ中に男は立ち上がった。 「命拾いしたなぁ、お前」 「……」  まんざら冗談にも聞こえない。  「また来いよ」  言うとくるりと踵を返した。 「あっ、ちょっと」 「なんだよ?」    振り向いた背が高い。  とても大きな人だと思った。    「あ、……その、名前を」  ずっと知りたかった問いを掛けると、男はニイ、と口角を上げた。   「(ぬえ)」  赤い月が煌々とその姿を照らし出した。きれいな顔をしている。そう思った。  瞬きをする間にも姿は消えていた。  やはりあれは怖い男だ。しかも、 「ぬえ……」    名前も怖い。  それにどこか聞き覚えのある響きだった。  葦草がまた吹きすさんだ。   「あ……」  はっとした。夜な夜なこんなところに一人でつっ立っている事実にようやく足が震え始める。  帰らなければ、一刻も早く。 低頭して隠れるように走り出そうとした瞬間、 がしり、何者かに背後から腕を捕まれる感覚がした。

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