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第15話 後宮の事情

「蘇芳? あの、どうか?」   そんなに危うい話なのだろうか。儚那はオロオロと手を振った。 「ひい様。ひい様の出された熱は、ただの熱ではありません。あれはそう、引き合ったがゆえの現象かと思われる」 「引き合う?」 「そうです」  蘇芳は重いため息をつくと肩を落とし、 「あの男はα性なのでしょう。なんということか、これではひい様を後宮でお守りしている甲斐もない」  ああ、と顔を覆った。  列国同様、月虹国の王族は王宮に住まうのが常だが、王宮には心身ともに優れたα性の重鎮や兵士が複数勤務している。  並みの男女でもα性の者には惹かれやすく注意が必要なのに、Ω性の者はさらにα性に弱く、氷が火炎に投げ込まれるが如く心身ともに溶かされてしまうという。  ゆえに後宮にはα性の立ち入りは硬く禁じられている。もちろん後宮に勤務できるのもそれ以外の性の者に限られている。  Ω性を持つ儚那はα性との接触を避けるため、王太子ながら特例として後宮に身を置いていた。  そんな内情を知らぬ多くの者からは、『此度の王太子は大変な女好きで、後宮に入り浸って滅多に人前に出てこない』などと不名誉な評判を立てられもしたが、致し方のないところではあった。   「やはりあのとき、目をお離しするのではなかった。私の落ち度だ」     祭りの日の凶事をまた悔いているのか、蘇芳は暗い顔をする。 「蘇芳、そのことはもう……」 「どこかお怪我はありませんか? ああそうだ、足を」  水差しの水で白布を濡らすと、蘇芳はそれで儚那の患部の泥を拭った。貝に挟んだ柔らかな膏薬を指に取って傷口に塗りつける。  「これは?」    丁寧に足首を触れていた蘇芳の指が、ぬるっとした粘液をすくい上げた。   「花の香り……? どこかで、花の蜜でもつきましたか」  すんと匂いを嗅いだと思えば、ぺろりと指を舐める。     その舌が蜜を味わうさまがやけにいやらしく気にかかり、儚那は、なにか今とてつもなく取り返しのつかないことをされたような気がした。 「甘い。やはり花の蜜でしょうか? しかしどこから」   「や、ちょっ……」  湿った指がふくらはぎから太ももを辿っていく感触が、やっと収まりかけた甘美な痺れを呼び戻してくる。  やがて「えっ」と小さく驚いた声のあとに寝間着の裾がバッと引かれ、足をみな隠された。    「蘇芳?」  蘇芳は下を向いたまま動かなくなった。 「どうかした?」  「……津液」 「えっ?」 「腹を切る。のでお許しください」 「えっなに!?」     津液(しんえき)とは、唾液や汗、涙や粘液といった体液の総称のことだ。その体液とはどういうことかと儚那が考える間にも、 「とにかく、明日の晩からお部屋の外に厳重な警備を置きます」     あと私を消したくなったらいつでも伝言を。などと言い残すと、あちこちガンガンぶつけながら、よろよろと帰ろうとする。   「ま、待って」 「……この場で斬り捨てるのはやめた方が宜しい。お部屋が汚れます」  「いや殺さない! そうじゃなくってその、体のこの、この辺が、その」  落ち着かない下腹に触れると、しゃがみ込んでおずおずと上目遣いに見上げた。   「さっきから、ずっと体が熱くて。この辺がなにか、う、疼いて? 苦しくて……だから、その、何とかして欲しいの」 「そ、……」  呆気にとられたような顔がにわかに赤くなっていく。それは儚那も、恥ずかしさを耐えて懇願していた。否定されたら消えてしまいそうなほどに。 「飴をねだるように、言われましても……」  ためらいがちに告げられた言葉に儚那の頰が熱くなった。口を押さえて耐えていても、羞恥のあまりに肩が震えて、わけの分からない涙がぽろぽろと流れる。

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