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第17話 王国の平和①

**  ぼおおおおんんん……  風光明媚な月虹国を一望できる後宮の物見櫓のてっぺんで、王国の平和を告げる銅鑼が鳴る。  遥かな青海原を東に望めば倭国の小島、西に望めば唐国の船。それが王国一の視力を誇る一覚(いっかく)の目には確かに見える。  四十路を過ぎてなお小猿のような一覚は元は南方の民だったが、先王の時代に王国と戦い敗れたのちに忠誠を誓った。    「四方あまねく憂い無し、王宮に(そむ)く影もなし。絶景(かな)!」   ぼおおおおんんん……     紺碧の空に白鷺が立つ。  肥沃な大地は緑眩しく、赤米と麦の若葉が水田に柔くそよぐ。板葺、藁葺の入り混じった家々からは昼餉の残り香が立ちのぼっている。  そんなのどかな昼下がりだ。 **  響き渡る銅鑼の音を自室の椅子で薄ぼんやりと聞きながら、蘇芳はいつもと異なる茶器に漫然として手を伸ばした。 「蘇芳さま蘇芳さま」  「うん……?」 「それ醤油ですよ」 「ぶッ!!」    吹き出した飛沫が公文書に点々とシミをつける。堪え難い塩味が激烈に喉を打った。  めいめい菓子を咥えて当たり前のように居座る紅玉、木蘭、春麗が呆れ顔で声をあげる。 「どうしちゃったんです、ぼうっとして? って、うわ怖い!」  「目の下すんごいクマできてますけど」 「やだ徹夜? 寝ないで何やってたんです」  「……書簡」  「ああ読書ですか」 「──の文字を数えていた」 「うん、えっ何ですか?」  「書簡の?」 「文字を数えていた?」    「たまに数字の文字がきて、数を惑わされるのだ……」  げほげほと咳き込むのを横目に、三人が身を寄せて声を潜めあう。    「ねえ、言っている意味わかる?」 「いや全然……」 「要は寝むれなかったんじゃないの?」      春麗のまとめに一同「ああ……」と納得する。  木蘭がはたと手を叩き、 「そういえば今朝ひい様が──」  とまで言ったところで蘇芳の肩がビクッと驚いた。    三人は顔を見合わせ、はてな? 首を傾げたが、すぐにニヤァ……とほくそ笑んだ。    「これは……ひょっとして」 「ひい様絡みの不眠か?」 「ちょっと詳しく話を聞かせてもらいましょうか」  こんな時ばかり勘の鋭い女たちに詰め寄られてげんなりとする。  前回とは違い、昨夜は少々だいぶかなり私情を挟んでしまった。その後ろめたさが尾を引いて、一睡もできなかったなどとは口が裂けても言えない。  だがα性が関わっているとなると、今後の為にも女官たちには身辺警護の意識を高めてもらう必要はある。気は進まないが、昨夜の王太子失踪騒ぎだけはかいつまんで説明をした。    「ええ、またあの男が? しかもひい様の方から追って行ったですってえ!?」 「ちょっと蘇芳様、しっかりして下さいよ」 「そんなポッと出のわけのわからん男にひい様を取られちゃってもいいんですかっ?」  「良いわけがな……というかお前たち、何で私がひい様を慕っている前提で話をするんだ」 「だって事実でしょ」 「まさか?」 「バレてないとでも思ってたんですか?」 「なっ」  ガタンと椅子ごとのけぞった。 「まだ何か隠してるでしょ」 「言えば味方になりますから、さあ吐け不眠の理由を」 「さもなきゃひい様にお気持ちをバラしますわよ」 「何なんだお前たちはっ、人の心に土足で踏み込むな!」  以下、暇を持て余した女官たちが帰ったのちにはイナゴの大群にあったかのような空の菓子箱の棚が残された。精神も大幅に削られ心も折れたが、ともあれ食欲だけは破格の味方が三人、増えた。

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