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第23話 八熾という男④
謁見の日から数えて五日後の、よく晴れた朝。
儚那は蘇芳を伴いながら王宮の森深くを歩いていた。
シュロの木に挟まれた小道は朝露に濡れて清々しかったが、これから八熾の師事を仰ごうという目には景色を楽しむ余裕などない。
高く結い上げた髪に手を触れた。服は王族の男子が武芸の際に用いる伝統的な白い上衣と、白い細袴を身につけている。上衣の中には万一に備えて鎖帷子も着込んでいた。
シュロの木立から緑地に抜けると、先にいたらしき八熾がこちらを振り返った。今日は初めて会った時と同じ黒ずくめの格好で、不揃いな髪を束ねずに下ろしていた。
八熾は儚那を見るなり、
「サイ、──」
またこちらには分からない名のようなものを口走ると、駆け寄るなり儚那の腕をつかもうとした。が、触れる直前で気づいたように眉を上げた。
「……なんでお前が?」
「え、っとそのぅ」
言いかけた手前に蘇芳が踏み出した。
「私から説明をする。新参者の八熾殿はご存じないかも知れぬが、貴殿の立場で王族の体に直に触れることは禁忌とされている。しかしながら、些少は体に触れねば訓練にならぬ。ゆえに名代 を立てることに相成った」
「名代、だと……?」
「左様。してその名代を務めるのが、こちらの女官である」
サッと儚那に手を差した。
「へえ、女官だったのかお前? いや待て、意味がわからねえ。女官に武芸を教えてどうするってんだよ」
「最後まで聞け。本来ならば女官とて、王族以外の男が触れてはならぬ決まりだ。だが王太子殿下は貴殿の技にいたく興味を持たれた。特例としてこの者に触れることを許すゆえ、貴殿の持てる技術を女官に伝授せよ。すれば後ほど女官の手から王太子殿下に技が伝えられる」
「はあ? つまり又聞きで教えろと?」
「そういうことだ」
「そういうことだ、じゃねえ。そんなんでまともに教えられるか。俺の武術を舐めてやがるな?」
八熾が不快感をあらわにした。次は蘇芳がムッとする。これはまずい。儚那はすかさず手を上げた。
「ご心配には及びません! 私は王太子殿下とよく似た背格好と力量を持っております。私が得た知識は、寸分違わずお伝えできると自負しております。どうぞ私を王太子殿下だと思って存分にお導き下さいませ」
言ってうやうやしく頭を下げた。
『王太子の名代として遣わされた女官』というていならば、いきなり殺されることはないだろうというのが儚那の読みだった。
しかし儚那がΩの女だと思われている以上、今度は貞操を奪われる危険があると蘇芳は懸念した。
結果、訓練中は蘇芳が護衛に立つという条件付きで儚那の望みは叶えられた。
「お前が王太子とよく似た背格好だと……?」
八熾が怪訝そうに儚那の頭に手を乗せる。
唐突のことに儚那の心臓がドッと高鳴った。
医女長お墨付きの対α精神安定作用のある薬湯を飲んできてはいるものの、この男の手の速さには油断も隙もない。
「じゃあなにか? 王太子ってのはこんな、女みてえなちんちくりんのヒョロッヒョロだってのか」
うりうりと無遠慮に頭を揺らされ、思わず睨み上げた。自覚はしていても、こうあからさまに馬鹿にされると腹が立つ。
「無礼な! わた……いや、王太子殿下に対して不敬ではないか」
「不敬不敬ってうるせぇ連中だな。これだから王宮まわりのやつらは面倒なんだよ」
「うっ……」
わりと痛いところを突かれて言葉に詰まる。
「ま、温室育ちの野郎の体なんてこんなもんか。チッ、まだるっこしい。まあいい、とにかくお前に教えりゃいいんだな。それで? そっちのお前は何なんだ。あの祭りの時といい、何でたかが女官ひとりに護衛が張り付いてやがる。お前やっぱり儚那の男か」
「そ、違う!」
蘇芳の声がうわずった。
「じゃ何なんだよ」
「いや、だから、名代とはいえこの者は王太子殿下の……いやそれだけではない。この者は私の……と……」
「と?」
「遠縁の娘だ」
「遠縁の娘です」
「ウソくせぇ……」
こうしてこの場に、王太子の名代女官とその遠縁の兄、推定αの不審学士の三つ巴 が整った。
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