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第26話 正鵠を射る②

 どうだ、と言わんばかりに八熾がこちらを見る。   「……すごい」  近づきたいと、素直にそう思った。  鉄弓には及ばなくとも、この身の丈に合った弓があるのなら。  八熾はまたニィと笑んだ。 「お前も努力しだいで的中できるようになる。何度も言うが、こいつを扱うには力ではなく正確な角度だ」 「そのことなのですが」 「うん?」 「この弓は、いったいどこの国からもたらされた代物なのです? 私の知る限り上下非対称の弓など聞いたことがありませぬ」 「へえ?」  八熾の片眉がぴくりと動いた。 「俺の師は、倭国の弓使いだった」 「わ、……」  倭国だと? 儚那は耳を疑った。 「馬鹿な! あの国は、大昔に刃を交わしてから武具のたぐいは一切明かそうとしてこなかったはず」  何百年も昔のことだ。 かつて女王と呼ばれた為政者が治めていた時代、倭国は穏やかに安定していた。  だが女王が没すると、たちまち戦乱の世に陥り、倭国は月虹国の近海に攻め入ってきた。  王国はこれを海上戦で討ち破り、以来数百年に渡って二国間の国交は断絶した。再びあちらから交流の使者を送ってきたのは三代前の王の時代になってからた。  倭国は、唐がまだ隋と呼ばれていた時代に『日出処天子』から始まる居丈高な文を送りつけてきた豪胆さのある一方で、過去の戦乱以来、月虹国に対し戦に関する情報をかたくなに秘匿し続けてきたそんな国である。  小国ながら、大胆かつ慎重な島国。それが儚那が倭国にいだく印象だ。  八熾の目がぎょっと見開いた。 「よくそんなこと知ってやがるな? 一介の女官のくせに」 「えっ」  しまった、と口を閉じた。 「お前は武家の出か」 「……そんなところです」 「へえ?」  じろりと見つめ返す八熾の目にはまだ少々の疑いがある。 「お前のいう通り、あの国は戦に関しちゃ未知のところが多い。俺の師は倭国の生まれだが、倭国の貴人に矢を射かけた大罪人だ。死罪を恐れて獄を抜け出しこの国に亡命してきたところを、拾って弓の師にしたのが俺の一族だ」 「……」  そんな話は聞いたことがなかった。王宮の手の届かぬ所で移民を勝手に受け入れるのは違法である。  とはいえ過去に遡り断罪するほど厳格にしてはかえって王国の威厳が損なわれ、人心も離れるだろう。 「安心しろ、あいつはとうの昔に死んじまったし子もいねえ。あいつがここに来たって証拠はねえよ」 「……そうか」  安堵したような、複雑な気持ちになった。 「どうもお前と話してると、軍事役人の野郎か何かとしゃべってるような気分になるな……」  まあいい、こっちも仕事だ。八熾はボリボリ頭を掻いて、 「だがあいつが伝えた倭国の弓をまんま使ってるわけじゃねえぞ。俺の一族は武芸に秀でた達人揃いだが、そいつらが改良し続けてきたシロモノにさらに俺が手を加えた。使いこなすのが最高難度なら、物もそこらの国とは桁違いに強い」  自慢の強弓(ごうきゅう)を恍惚と見つめ、ぬけぬけと言った。 「こいつを使いこなすにはまずは素引きからだ」  素引きならば儚那も知っている。矢を番えずに指で弦を引く、初心者がする練習のことだ。 「勘のいいやつでも慣れるには最低ひと月はかかる」 (そんなに時を掛けてはいられない──)  一日でも、一刻でも早くあの弓に近づきたい。  儚那はきゅっと唇を引き結んだ。  あとは八熾が石に座り込んで大欠伸を繰り返す側で、日暮れまでひたすらに素引きを続けた。講義の第一日目は、おおむねそれで終わった。

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