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第28話 女官目線②
なにやら一抹の不安を感じた三人だったが、今さら『やっぱり帰ってください』と言っても多分聞き入れてはくれないだろう。
仕方なく三人そろって部屋を出た。
けれど扉は閉め切らず、紅玉はしゃがみ、木蓮は中腰、春麗は立ったまま、細く開けた扉のそばから部屋の中を覗き込む。
藤椅子に向かい合って座る二人の姿が見えた。
「いくらなんでも打ち込みすぎです。聞けば寝食もろくに取っていないそうではありませんか。ひい様がお倒れになっては、ツノを鍛えて牛を殺すようなもの」
蘇芳はそれらしいことを言うと、ふう、と息を吐き出した。
「こんなになるまで、まったく……」
傷ついた手指をじっと見てから、おもむろに二枚貝の封を切る。貝に詰めた膏薬を中指の腹ですくって掌の上に持っていった。
つ、と肌に触れると主の眉が苦悶に歪んだ。三人からは細部までは見えなかったが、傷口に沁みたのだろう。
「ひい様、痛そう……」
「代わってあげたいわ」
「私も……」
華奢な掌の上を蘇芳の中指が滑っていく。その指が患部に触れるたび、主は痛そうに目を瞬かせた。
さらに膏薬を新たな箇所に擦り付ける。するとよほど痛かったのか、「あっ」と声が上がった。
「な、なんか……」
「かわいそうなのはかわいそうなんだけど……」
「かわいいわね……」
めいめい扉に指を掛け、頭の左右にぴょこりとお団子を揺らしながら、ごくっと息を飲み込んだ。
次に蘇芳は自らの掌に膏薬を取ると、その手で傷を負った指を一本一本包みさすった。
弦を引くために酷使する指の真ん中あたりをよぎった時、
「ひっ、イっ……」
主の押さえた悲鳴が上がった。
その声に呼応するように、膏薬を取る手の動きがやや乱れて激しくなる。
痛むあまりに逃げようとした手を蘇芳の左手が素早くつかみ取った。
とらえた手を握りこむようにして、手全体で揉みこんでいく。
主は初めは辛そうにうめいたが、次第に声音が艶めいていった。心なしか頰に朱が差し、涙目になっているようにも見える。
「ね、ねえ……」
「やりすぎじゃない……?」
「うん……」
ぬるぬると握りこむ手の動きが気になってしかたない。
「ふっ…ぁんっ……」
ひどく困ったように悶える主から目が離せない。
「こ、これは……」
「あんな顔なさるんだ……」
「ひい様、ごめん……」
三人は何やら溺愛する弟を悪い男に売ってしまったかのような(実際ほぼその通りなのだが)罪悪感に心を痛め、いたたまれなさと若干の幸 を覚えた。
蘇芳は終始無言で過剰な治療を続けている。
「今なに考えてるのかしら、あの人」
「さあ。鬼天竺鼠 (※カピバラ)並みに表情がないから分からないわ」
「私わかるわよ」
ボソッと呟いた紅玉に注目が集まる。
「私の家は軍略一家でね、相手の息遣いや僅かな目や口の動きから、人の心を読み取ることができる」
「何それ……初耳なんだけど」
「なら教えて!あの人の考えてること」
「いいわよ。えーとね……」
ごく……。皆の注目が集まる中、ややあってカッ!と目を見開いた紅玉は次の瞬間バッと顔を隠して小さくなった。
「ど、どうした!」
「言って楽になりなさいよ!」
「そ、……その……傷ついたその手で、……触れっ……」
「うん? 触れ?」
「触れて欲しい?」
「どこを」
ぐいぐいと詰め寄ると、紅玉の肩がぶるぶると震え始めた。
「……だからそれはっ……、言えないようなところを」
やっと答えた紅玉を見下ろし二人はしばし固まった。
「……あ……あわ……」
「あわわわわわわ」
顔を覆ってガバッとしゃがみ込む。
「……もぉバカぁっ……誰かあのひと殺してえっ……」
「なんで男ってこうなのかしら……」
「みんなけだもの過ぎるっ……」
「あの例の訳の分からない男にひい様を取れるのも嫌だけれど」
「かといってこの人でいいのかといわれると、悩む」
「ああかわいそうなひい様……」
三人は、罪悪感と憐憫に身悶えながら──このままもっと見ていたいような、けれど思っていたよりいかれた上司の感覚に戦慄として息を詰め──甘やかな悩みに震え苦み、結局のところ最後まで見続けた。
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