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第31話 水滴石穿②
はたして八熾は、
『俺の弓を扱うのに必要なのは力じゃねえ』
などと嘯いていたが、そうはいってもそれなりの力は要するのが分かった。
特に右手は腕の付け根から手首まで常にパンパンに張るほど筋力を使うし、矢を引き続けると次第に指の感覚は無くなってくる。
次に痛めがちのは腰だ。射る時に体幹を支えるためどうしても負荷がかかってしまうのを八熾に相談すると、
「腰を鍛えるコツが知りてえ? なら俺の上に乗って腰を振れ」
まんざら冗談とも思えない軽口を叩いてくる。
「もしくは走れ」
というので一も二もなく儚那は走り出した。
短距離なら速い方だが、持久力がないためすぐにバテる。長く射続けるためには体力はやはり必要だ。たとえ実にならなくとも、腹筋や走り込みは欠かずに行った。
「倭国の弓は竹でこしらえたものが多いらしいが、木にも適した材はある」
一位や梓など、良くしなる木でできた弓に触れて体にしっくりとくるものを探した。
「弓は相手の隙をつけるが、もちろん万能じゃねえ。射るには一定以上の距離が不可欠だ。つまり接近戦には向かねえ。サシでやれねえぶん臆病者やら卑怯者の武器だとバカにする奴もいるが、そういうバカは先に死ね。戦なんざ、最後に立ってたモン勝ちだからな」
十回、二十回と講義が進み、そこそこ弓の癖をつかんで命中率が上がってきた頃、八熾は言った。
「とまあ、ここまでは言わば机上の空論だ。ただ的に当てるだじゃお貴族サマの遊興に過ぎねえ。実戦じゃ全く役に立たねえってことぐらいはお前にも分かるよな?」
「えっ!?」
儚那はボロボロの手から弓を取り落としそうになった。この三ヶ月余り懸命に取り組んできたことが全く役に立たないとは衝撃が過ぎる。
絶望の目を向けると、呆れたような眼差しが返ってきた。
「当たり前だろうが。戦場じゃ敵兵が行儀良く止まってちゃくれねえし、目指す的があろうと常に動き回るんだよ」
「あっ!」
「だが基本は応用に通じるからな。まずは正確に的を射抜けるようになるのは必須だ。後は敵の動きやら天候、風向きを読んで…………打つ!」
ビュッ、と八熾が斜め上空に矢を放った。
鉄の飛矢はまっすぐに伸び、やがてバサリと草地に落ちた。
草の中には腹から背を貫かれた一羽の雉 がぴくぴくと痙攣していた。
唖然とする儚那の前に、片手で両足首をつかまれた雉がずいと差し向けられる。
「絶えず動き回る敵を射る。それが戦場の弓だ。いいな」
「は、……はい」
「今日はこれでしまいだ。そら、これ食ってお前はもう少し胸に肉でもつけろ」
「はっ!?」
「あいっ変わらずのまな板だなぁ」
空いた手が儚那の胸に伸びたところで、
「──シッ!」
黒々とした鞭が波のように唸りを上げて、八熾の足元の土をボコォッと穿 った。
「……不必要な接触はお控え下さるように」
鞭の腹をピシッと握り、蘇芳が引き結んだ唇からわずかに歯を覗かせた。
「あっぶねえな、またお前かよ。チッ、油断も隙もねえ」
「こっちのセリフだ、キサマ……」
ゴゴゴゴゴ、にわかに暗雲がもたげてくる。
「ああっ、ねえ、雉! 雉って弓の羽根に使われるのでしょう? す、にいさま、羽を抜くのを手伝って欲しいの! ね、いいでしょう?」
今にも炸裂しそうな鞭を持つ手に手を触れて、儚那が上目遣いにお願いをする。
すると首尾よく蘇芳の瞳の色が和らいだ。
「く……仕方ない。おい八熾、つぎ妙な気を起こしたら今度こそ殺すぞ」
「ああ? 何だお前、そういうことかよ」
八熾は儚那と蘇芳を見比べてにやにやと含み笑うと、
「おい儚那、こいつには気をつけろ。安心してっと頭っからバリバリ喰われるぞ」
「にいさまはそんなことしません!」
「だといいけどなぁ」
アッハハハ、蘇芳に向かって雉を放ると、八熾はおかしそうに弓具を担いで王宮の森を抜けていった。
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