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第32話 破戒と悪夢①

 翌日、儚那は自室で小さな鋳型を手に取った。鋳型には鍋でどろどろに溶かした松やにが流し込んである。 「う─ん……」    琥珀色にしたかったのに、褐色に近くなってしまった。溶かす過程で少し焦げたせいだろう。これはこれで良い色なのだが次はもっと淡い色味に仕上げたい。  半年は乾燥させなければならない鋳型を棚に戻してから、机に綺麗に並べた羽根をつまみ上げた。昨日、八熾に射落とされた雉の羽根だ。  赤銅色の羽根は、意外なほどしっかりと鳥の体についていた。眺めていると抜いた時の生々しい手応えが思い返されてくる。  雉肉の方はひと月は置いた方が旨味を増すと料理長がいうので、熟成したら半分は八熾に持たせてやることに決めた。  日暮れになると、王宮の森に一人で練習に出た。女官たちに心配をされたが、たまには一人になりたい時もある。 「すぐに戻るから、蘇芳には黙っていて?」  気遣わし気な三人にニコッと手を振り、夕陽に朱く染まり始めたシュロの小道を走り抜けた。  適当な木の幹を的に決めると、いつもの場所で矢を番えて矢羽根を引く。  カーンと音を立てて飛んだ矢は、狙いとは少し外れた根元に当たった。  まだまだだ。  新たな矢を三本取ると、一本を番えて一本を右手に余し、いま一本は口に咥える。  弓を打ち起こし、キリリと狙いを定めて一気に弦を引き絞る。今度は狙い通りに命中した。  素早く矢継ぎをして次の構えに入る。  こうなってくると夢中になって、時間も物の気配も分からなくなる。六本入りの矢筒が三べん空になった頃、 「よお」  もうよく慣れた声が背後から聞こえた。  虚を突かれて振り向くと、企むような黒い目がある。八熾だった。 「……な、何か、忘れ物でも……?」  講義のない今日は、対アルファの薬湯を飲んでいなかった。護衛もいない。儚那は引きつった声を出した。  いきなり逃げてしまっては、あまつさえ師に対して失礼になる。講義を重ねるうちに八熾と情が通じてきたゆえの油断もあったろう。  つい一瞬、足が遅れた。その遅れを見逃してくれるほど殊勝な男でないことを儚那は忘れていた。  ぐいを腕を引かれる。あっと思った時には、耳の奥に息を吹きかけられていた。 「ヒッ、……ぁっ……」  たったひと吹き。それだけで、ぞわりと体が痺れていく。足腰の力が抜け、草の上にがくりと膝をついた。  以前よりも遥かにαへの感覚が鋭くなっている。一度覚えてしまった快感が、楔となって記憶に刻み込まれているかのようだ。

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