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第34話 破戒と悪夢③
つかんだ矢を手の内に持ち換え、できる限りの力で握りしめた。八熾に悟られぬよう気をつけながら、横に一気に振りつける。
ズンッ、と重い痛みが儚那の右太ももを貫いた。強く突き立てた矢が血に赤く染まっていく。
「くっうっ、あああっ……!」
「儚那!?」
だが痛みのおかげで正気が戻った。
儚那の行為に怯んだ八熾が一瞬動きを止めた隙に、その胸を下からドンと蹴り上げなんとか体を脇に逃した。
「はぁっ……ぁっ……」
痛みと眩暈で呼吸が乱れる。
なおも襲われるかと身構えたが、八熾はしばし雷に打たれたように茫然として儚那を見つめた。
「お前は……? なぜ姿かたちだけでなく、やる事までも、あいつに似ている?」
「え?」
言われている意味がわからない。あいつ、とは誰だろうか。
しかし今はそんなことを追求している余裕はなかった。
「わ、私はそなたのものに、なる訳には、いかぬ。私には、そなたの技を確かに王太子殿下に伝える役目がある。その私が、仮にも師であるそなたと、縁を結ぶなど……ま、まんいち、子供などできたら飛ぶのは私の首だけでは済まぬぞ。そなたも罪人として処罰され、私の里の、親兄弟にも累が及ぶ」
儚那は、どうかこの嘘がばれないようにと胸を押さえた。心臓がうるさいほどに波打っていた。
黙り込んだ八熾はやがて「あー」と目をつむり、
「お前もたいがい背負ってやがんなぁ。見た目はこまっかしい、ただのちんちくりんのくせによぉ……ああめんどくせぇ─」
はあーとため息をつくと、ガシガシと頭を掻いた。
「しゃあねえ。お前がお役御免になるまでは、そうしといてやるよ。けど時々はひとりでここに来て、俺と会え。さもなきゃ俺はお前を拐って王宮から消える。それはお前には不都合なんだろう?」
「えっ……」
確かに今八熾に去られて、弓術を習えなくなるのは困る。
まだ動きのあるものに矢を射掛ける術も、それを戦場で生かす術も教わっていないのだ。
こんな中途半端なところで終わるのは嫌だ。
だがそれにしても腑に落ちない条件だと思った。
「どうして私にそうまでこだわる? あ、あまり言いたくはないが、そなたならいくらでも、その、相手がいるのだろう? うっ……」
熱を持ち出した太ももがずくりと痛んだ。
「まあなぁ─……」
八熾の手がふいに伸びてきた。警戒してとっさに後退る。
「バカ。そんなもんそのままにしとけねぇだろ」
八熾は血を流す儚那の太ももをつかむと、突き刺さったままの矢に利き手を掛けた。
「いくぞ。歯ァ食いしばれ」
「──ッ!」
ビッ、と鈍い音とともに、真っ赤に濡れた矢先が引き抜かれた。
「あああ……っ!」
「俺がお前にこだわるのはなぁ」
八熾は自身の黒い腰巻をピィィと裂くと、うずくまる儚那の太ももに素早く巻きつけた。
「……ただ気に入ったからだよ。力もねえくせにやたら根性があるのも、その強情な目もなあ。お前はあいつに、サイに似ている──」
「え?」
サイ。その名を聞くのは三度目だ。一度目は確か、豊穣の祭りで会った時。そして二度目は初めて講義で会った時だと記憶していた。
「でもお前、無理してるだろ。役目ったって普通ここまでして拒むかよ? そんなんじゃ今に窒息するぞ」
「そんなことは……」
「いずれお前をここから連れ出してやる。窮屈な世界から解放してやるよ」
「か、勝手に決めるなっ、ぅあっ!」
ぎゅっと強く傷口を縛られ、たまらない痛みに慄いた。
「とにかく俺の言った通りにしろよ。さもなきゃこのままお前を連れて、二度と王宮に帰れなくしてやるからなあ」
くくくと薄ら笑う八熾の言葉はただの脅しとも思えない。酷く不本意な条件だったが、儚那に選択の余地などなかった。
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