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第40話 離宮へ①
秋雨が三日も降り続いている。庭木が紅く色づくさまを自室の格子窓から眺めながら、儚那は物思いに耽っていた。
「……ひい様?」
気づけば蘇芳がそばにいて、藤椅子に掛ける儚那と目線を合わせるようにしゃがみ込んでいた。
「なに……?」
見下ろすと蘇芳は、どこか寂しそうに笑んだ。
「やっとこちらを向いて下さった。どうしたのです? ここのところずっとひい様のお元気がないと、みな心配しておりますよ」
「……」
「悩んでらっしゃる事があるのなら、言って下さい。なんなりと力になりますから」
目の色も声もどこまでも優しい。けれど、言えるわけがなかった。国を守るためとはいえ、皆に黙ってあのようなことをしているなんて。
蘇芳に愛していると言われたわけではない。うぬぼれが過ぎるのは自覚していた。
それでもあの日、この命を繋ごうとしてくれた思いは確かなものだった。
親の代からの従者とはいえ、幾許 かの愛がなければできぬことだと分かっている。
だからこそ、こんな不実な行いを言えるわけがなかった。
なぜかと問われれば、嫌われたくないから。
そんな風に思うのは、何故なのだろうか……。
「ごめん……ごめんなさい」
「ひい様?」
「ごめんなさい……!」
ただ詫びて泣くことしかできない自分が呪わしい。できることなら全部打ち明けて、助けてと叫んでしまいたかった。
自分は本当にこうするしかなかったのだろうか? 八熾に従う他に方法はなかったのだろうか。
誰も責められない。こんな選択をしたのは自分だ。
打ち明ければ蘇芳も傷つくだろう。そう思うのもうぬぼれかもしれないけれど。
「ごめんなさい……」
「謝るのはおやめください」
立ち上がったその腕にぎゅっと包み込まれた。触れると分かる逞しい胸が額に触れる。
「あ……」
その胸が、あまりに暖かかったから。
甘える資格などない。それなのに。
「あっ……ぁっ、……わあああっ──!」
決壊した痛みが押し寄せて止まらない。
大きな掌に頭を抱きしめられた。
「こんなに痩せてしまわれて……。いったい誰なのです、ひい様をこんなに苦しめるのは。やはりあの男なのですか? いいえ無理には、聞きません……」
雨音が強くなっていく。冷やされた風が足元をひゅうとかすめる。
ひとしきり泣いて疲れ切った儚那の体を寝具に横たえると、蘇芳は小さく笑んだ。
「ひい様。しばらくのあいだ弓の方はお休みをして、皆で離宮へ参りませんか?」
「離宮へ……?」
「懐かしい顔も大勢おります。私たちの離宮へ、しばらくの間ご静養に」
「う……ん……」
「それに先日から、姉宮様も離宮へおいでになっておられるそうですよ」
「ねえさまが!?」
儚那が頬をぱあっと光らせると、蘇芳が嬉しそうに笑んだ。
病弱で早くに亡くなった母の代わりに、幼い儚那を可愛いがってくれたのは八つ年上の姉だった。
だが四年前に他国の皇族の流れを汲む名家に嫁いでからは、なかなか会う機会に恵まれなかった。
「決まりですね。皆も喜びます」
儚那はうんうんと頷いた。胸の中に懐かしい煌めきが満ちてくる。
「では私はこれにて。ゆっくりとお休み下さいませ」
「あ……蘇芳」
「はい?」
「あの、……ありがとう」
「いいえ」
にっこりと微笑んで、蘇芳は部屋を後にした。
その日の晩、儚那は夢も見ないほど深い眠りに落ちた。こんなによく眠れたのは久しぶりのことだった。ぴんと張り詰めていた心の糸が、熱い湯に解けていくような安堵と快さだった。
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