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第51話 凶兆①

**   ぼおおおおんんん……   ぼおおおおんんん……    青天を望む物見櫓から一覚の銅鑼が鳴り響く。  だが今朝の銅鑼は王国の平和を告げるためのものではなかった。  地方を治める王族が経年で荒れた館を建て直したその完成記念に、王と王弟が共に招かれ一泊の遊興に出向くこととなった。その旅立ちの無事を祈る銅鑼の音である。 「四方あまねく憂い無し、王宮に(そむ)く影も……」  いつもの切り口上の途中で、一覚は舌を止めた。   「ううん……?」  ぎょろりと巡る瞳の中には、常にはない憂いの種が僅かに蠢くのが見える。 「やや、や……、これは蘇芳様にご報告かな?」  ニィ……。さらに目を剥くと、一覚はまさしく猿の如き身のこなしで物見櫓をパッパッと跳ね降りて行った。 **  同じころ儚那は、後宮の奥の自室で椅子にもたれ、机上に置いた武具を前に腕を組んでいた。  この武具は昨夕、八熾に押しつけられたものだ。  ひと月ぶりに顔を合わせた講義の後で、呼び出されたシュロの木の下。儚那は今日でこの関係に終止符を打とうと身構えた。けれど、 「お前と会うのは今日でしまいだ」  先にそう告げられて、肩透かしを食うと同時にずきりと胸が痛んだ。  しばらく会わぬうちに他に思う者でもできたのだろうかとほっとした反面、一度痛んだ胸の傷はじくじくと熱を持った。それで訳を問えば、 「もうすぐ、お前の周りで大きな混乱が起きるだろう──」 「こんらん……?」 「その機に乗じて俺は、必ずお前を攫いにいく。それまでは何とか身を守り生き延びろ。さもなければ、このまま俺と一緒に来い」  伸べられた手を、儚那は取らなかった。 「ならばこっちだ」    八熾は背に負っていた矢筒の中から奇妙な形の矢を五本、儚那によこした。    「いざというときはそれを引け。その矢には、特別な仕掛けがある──」  その後の説明は、努めて思い出したくはない恐ろしいものだった。こんな武具は未来永劫使われるべきではない。  気になるのは、八熾のいう大きな混乱の意味だ。具体的に何を指しているのだろうか。 戦や暗殺の類か、或いは自然災害か。  問いかけても八熾は、 「さあな──」  ニィと笑って踵を返し、瞬く間に消えてしまった。  誰かに相談すべき事なのか。しかしそれには八熾との今までのことを話さなければならないだろう。 「──」  相談すべき相手など一人しかいない。  けれど、あんな不貞を明かしたら自分は一体すどう思われるのだろう。  打ち明けて蘇芳に嫌われるのは怖かった。   これでしまいだと八熾に告げられ、ずきりとした胸の痛みを知られることも。  否、事によっては国の大事に繋がる情報をつかんだのに、この胸ひとつを守るために、黙しているなど良くないことだ。  分かっているのに、心を決められなかった。

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