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第53話 王太子儚那①

「一覚、その目はどうした!」 「は、は、……ちとぬかりましてな。されど、残ったこの目でしかと見て参りましたぞ。まずは先日、そこな春麗から蘇芳様が聞き及ばれたという噂話の旨から、お伝え申し上げましょう……」 「えっ? わ、私?」  予期せず名を挙げられた春麗が不安げに蘇芳を見遣り、口元を隠した。 「羅丹様の御座所にて、これはと思しき牢を見つけ、昨夜来詰めておりましたところ……確かに飯の椀を運んで参る女官がございました」 「ほう」   興味深げに蘇芳が頷く。 「これを取り押さえ、訳を問いただしましたところ、牢にいるのは羅丹様の男妾であった蔡桜なる芸妓であると。女官たちがそやつをここに繋いだのは、九年も前のことになると白状致しました」 「さ、……」    さいおう?  儚那の胸がにわかにざわめいた。  さいおう。それはどこかで聞いた名であると心が知っていた。  王弟羅丹の男妾。九年前のこと。  九年前といえば、自分はまだ七つの子供だったはずだ。  七つ。そう、七つの時だ。 「蔡桜の父は王の従兄弟殿。その母は、南方の民族であったということです──」 「南方の?」  儚那と蘇芳は同時に問うた。 「左様。蔡桜は羅丹様に受けた喉の傷がもとで口が聞けず、筆を持たせても文字を知らぬようで、此度の乱と繋がりがあるかは聞けませなんだ……。が、羅丹様を裏切り、同士討ちを仕掛けたのは羅丹軍に与していた南方の民族でありました」  儚那の額から嫌な汗がふき出してくる。その先は聞きたくなかった。  疑う余地もない。  牢に入れられている蔡桜なる男妾というのは、あの七つの時に離宮の森で見た優美な青年に違いなかった。  ニィ……と三日月のように笑った、美しくも恐ろしい魔性の男。 「私の目を射抜き、かつ南方民族の指揮を取るその者の名は、族長の────鵺!」 「ぬ……」  鵺……。      儚那は膝から崩れ落ち、ぺたんと床に手をついた。 『待っておれ、今に──』 「あ……ああ……」  『──今に私の鵺が、お前たち王族を皆殺しに来るだろう』 「ああ……っ、わあああ──っ!!」  呪詛の言葉が濁流のように流れこむ頭を押さえ、うずくまった。 「ひい様!? どうなさった」  あの日、あの時の言葉のままに、鵺がサイと呼んだ男──蔡桜のために、南方の族長として乱の指揮を取るというのなら。 「……蘇芳……」  泣いている場合ではない。止めようにも流れ出るものは袖の上でかき消して、儚那は立ち上がり瞳を上げた。 「鵺の狙いは、王族……だ」 「何ですって?」 「鵺は八熾の真の名である。あやつは蔡桜なる男と深い(えにし)で繋がっていた。その蔡桜の恨みを晴らすため、そして、かつて蔡桜を奪われた自身の恨みのために、王族を皆殺しにするつもりなのだ。つまり奴らの狙いは王宮と、王族の血族が住まう、この────後宮である」

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