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第54話 王太子儚那②
その場にある全ての視線がこちらに集まった。
「ひい様……なぜそのような断言ができるのかと、問うても宜しいか」
儚那はうつむき、そして頷いた。
幼い時分に蔡桜と出会い、呪いの言葉を浴びせられたこと。
王国の平和を守るため、そして弓術の習得のために鵺に身を委ね続けた過日の行為。それらを途切れ途切れに告白した。
語り終えればもう、静まり返るみなの顔を真っ直ぐに見ることはできなかった。
「どんな言い訳をしても、皆を裏切る行為である。何と罵られても仕方のないことだ」
嘘だ。本当は見捨てられるのが恐ろしいのに。
「せめて私がもう少し早くに反乱の兆しを伝えていれば、こんなことには……!」
「ひ、ひい様……」
女官たちが泣きそうな声で互いの手を取り合った。
「言い訳などできぬ。私はあやつにいいようにされるうち、いつしかそれを自ら望む気持ちが、きっと……」
きっとあった。
だからどうか私を軽蔑してほしい。
最後の言葉は声がかすれて、目の前がにじんだ。
「なるほど、分かりました」
抑揚のない蘇芳のこたえにびくりと肩が震えた。
分かりました、とは、望み通り軽蔑してやるということだろうか。
「これで納得がいきました。やはりあの男が、ひい様をひどく弱らせた元凶なのでございますな。いいえ私は、聞いた良かったと思うております──」
「え……」
思わず顔を上げると、蘇芳の眼差しは蔑む者のそれではなかった。
「仮にも八熾、いや族長鵺は、ひい様の師であった者。それを思えば、本気で剣を振るう相手としては少々の遠慮を覚えましたが……」
ふ、と自嘲のように息を吐き出し蘇芳はうつむいた。
「しかし今の話をうかがって、そんな遠慮は吹き飛びました。これで心置きなく、やつらを……」
握りしめた指の関節をバキリと打ち鳴らし、
「──ぶちのめすことができる」
誰に向けるでもない笑みを口もとに浮かべた。
味方でも恐れおののく近づき難さに場が凍りついた。
「私がひい様を軽蔑するなどあり得ませぬ。焦がれてはならぬ人を、どうしようもなく思う気持ちは、私にも分かりますゆえ……」
今度は慈しむように紡がれた言葉は、まるで自分に向けられているようでどきりとした。
数歩歩いて手を伸ばせば届く距離にいる。なのに遥かな天の河がその狭間に横たわっている。そんな気がした。
それから、と蘇芳が続ける。
「実は昨日のことですが、舎那様の館へ向かう王の追従に見慣れぬ兵の姿があることを一覚が気づきました。その報を受け、私は王宮に残る兵の一部に密かに王を追わせました。ゆえにいま王宮を守る予備隊は少なく、私の私兵六百を足してもやっと千騎あまり。一覚! 敵の数はどれくらいか」
「は、私の見立てではざっと二千。およそ隊形など知らぬ烏合の集まりなれど、ひとりひとりが手練れにございます。鵺を中心とした一糸乱れぬ結束力が最もやっかいなところかと」
そうか。蘇芳が頷いたとき、
「急報っ!」
新たな伝者がひざまずいた。
「現在、族長鵺の率いる南方の民と、追って対峙した我ら王宮軍とがぶつかり合い、潰し合うております! しかし王宮軍を突破した一部の敵兵は、既に王宮を目指し押し寄せつつある模様!」
「くそっ、では早急に王宮後宮の守りを……」
「なれどやつらの行先はひとつではありませぬ! 二手に別れた一方はこちらに、そしていま一方は、北へ逸れて参りました」
「なに、北……?」
北。そこにいったい何があるのか。儚那はしばし逡巡したが、時を置かず蘇芳と目を見合わせた。
「ひい様……」
王宮から北に位置し、なお王族の血縁が多く住まう場所。そんなものはひとつしかなかった。
「────離宮か」
全身からぶわりと汗がふき出した。
無秩序な怨念が、力任せに踏みにじろうとしているのだ。あの美しい離宮の森を、本殿を、砂浜を。
愛らしい珊瑚姉弟、白黒の仔猫。心優しい女たちを、そして、
「──ねえさまっ!」
儚那は絶望に目眩を覚え、顔を覆った。
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