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第55話 王太子儚那③

 どくどくと波打つ胸を握りしめ、それでも冷静さを欠かぬ思慮を持って儚那は言った。 「蘇芳」 「は、……」 「そなたの兵の中に、将を執れる者は何人いる……」 「は、あ、副官は二人おります。が、将となると私ひとりかと。他の将たちは既に戦に出ております」 「そうか……」  ぎり、と奥歯を噛み締めた。 「とにかくひい様は、一刻も早く紅玉らと共に隠し通路から外へお逃げを。私は兵の半数を率いて離宮へ参り、必ずや姉宮様をお助け致します。王宮と後宮には副官らに臨時の将を任せ……」 「ならぬ!」     強い口調で遮った。 「いかに離宮が危うくとも、国の最大の要所は王宮である。私情のために兵を等しく二分し、王宮守りを薄くするなど愚の極みではないか」 「ですが……」 「蘇芳、そなたの私兵は六百と申したな」 「左様にございます」 「三百私に貸せ。私が別働隊の指揮を取り、目立たぬよう森を渡って離宮へ入る。そなたは残り七百の将として、命に代えても王宮と女官たちを守り抜け」 「な……? 何を無茶な! 初陣すらご経験の無いひい様が、将を執るなど無謀に過ぎる」 「無茶でもやらねばならぬ。仮にも王太子の私ならば、将の立場として不足はないはず」  挑むように自らを推すと、強い怒気のこもった瞳で睨み返された。 「ならばはっきりと申し上げる! いかに王族の直系とて、戦の経験もない者に務まるほど将は軽くはありませぬぞ。うぬぼれも大概になされよ」 「わかっている! だが国防の要であるそなたは、絶対にここを動いてはならぬ。離宮へ行くならば私だ。私に一兵卒を演じよというのなら、それでも構わぬ。そなたが何を申そうと私は絶対に引かぬぞ!」  返事を待たず女官たちへ振り返り、 「紅玉、木蘭、春麗、そなたらは隠し通路を使って逃げよ。道順は私が教えるゆえ……」  声を優しく戻して諭そうとしたが、三人の意を併せるように春麗が「いいえ」と首を振った。 「私たちは、仮にも王太子殿下お付きの女官頭。逃がすのならばどうか、王族の血を引く子らとその母だけを。私たちはここで他の女官たちを束ね、守らねばなりません。ですから、待っております。私たちはここで、ひい様のお帰りを待っておりますわ」  それは、生きるも死ぬも後宮(ここ)でという決意の言葉だった。 「……ならば待っておれ」  儚那は優しい夫のような微笑みを三人に贈った。  次は再び鋭い目をして蘇芳へ向き合った。 「綺麗事では済まされませぬぞ……」 「わかっている」  に、と口もとで笑って見せると、蘇芳もまた一瞬だけは笑んだ気がした。 「しからば今すぐ重装のご準備を! 護衛には私の副官ひとりをお付けする。一覚、そなたは早う傷の手当を。伝者らはひい様に付き、できる限り離宮の戦況を私に届けよ。紅玉、木蘭、春麗、そなたらは皆と立て籠もり身を隠せ。敵は全て私が斬り伏せ、ここへは一兵たりとも近づけぬ。そう他の者にも伝えて安心させよ!」 「はいっ!」  そろった女官たちの声を皮切りに、めいめい散り散りになって目指す場所へと駆け出した。

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