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第57話 南方烈氏鵺の乱①

 王族の隠れ家離宮を目指すには、正道の他には山間を北上するしか道がない。    王国随一の俊足を誇る颯人(はやと)馬にまたがって隊の先頭をひた走る儚那は、しかし未だに深い感謝の中にあった。  こうして森を駆けていても、広間での喝采とどよめきが胸を震わせる。  王命と宣言したのは勝算のない賭けだった。  否、たとえ拒否されようと、死んでも指揮を執る覚悟はあったが、実際に将を務める重責と喜びは想像以上のものがあった。 「棍崙、ここから先は急斜面だ! 気をつけるよう皆に伝えよ」 「はっ!」  儚那は全方位に視線を巡らせた。  できることならば周囲の有力者に援軍要請の使者を出したかったが、ただでさえ少ない兵を割く余力もなければ暇もない。    敵影はない。こちらの動きはまだ感知されていないはずだ。  晴天続きで乾いた森の大地に馬蹄が押し寄せ砂埃を上げる。茶褐色の毛並みも眩しい生え抜きの騎馬三百は、険しい斜面の木と木の間を縫うように飛び降りていった。  儚那の指揮する三百の兵は、不滅隊と命名された。隊名には将の名を取るのが一般的だが、儚那は王族の個人名であるうえ、戦場に出る隊の名が儚いでは話にならない。そこで真逆の意を持つ不滅の文字が取られた。  南北に長い島国の中でも最北の森に沈む離宮。その背を取る形で回り込もうと考えた儚那は、はやる気持ちを抑えて離宮の側面をずっと追い越し、それから馬首を引いて逆走をした。  森の中から離宮の背後とその周辺を覗き込む。既に縄をかけられ生け捕りにされた女と子供たちの姿があった。その数およそ三十。  額や手から血を流している者もあれば、泣いている子らもいる。心が痛んだ。  姉の姿がないところを見ると、本殿守りはまだ抜かれていないのだろう。  捕虜を取り囲む南方の民は皆一様に黒づくめで、鎧らしき物を身につけている者はいない。  だが発達した筋肉が胸を張り、足腰は南海で鍛え抜かれた逞しさだ。武器は柳葉刀(りゅうようとう)を持つ者が多かった。 (下馬して戦えばひとたまりもないな──)  自らの力量を重々承知している儚那は、ぎゅっと弓を持つ手に力を込めた。  一位の木でこしらえたこの長弓と、頑丈な馬の足が頼りだ。 「弓引け!」  鋭く命を下せば、即ち横陣を敷いた弓隊が一斉に矢を放つ。  蒼天に放物線を描きながら高く遠く抜けた矢は、捕虜の頭上を軽々と飛び超えその奥にいる敵兵に襲いかかった。  突如として降って湧いた矢の雨に敵陣が驚愕とする。しかし敵は素早く捕虜の首に刃を当て、厳戒の睨みをきかせ始めた。 「騎馬隊は分散して捕虜を助けよ! 棍崙! そなたは百騎率いて本殿守りに応戦し、我が姉と臣民を救い出せ! 弓隊は騎馬が敵に届きしだい射を再開せよ」  矢の射程圏外に援軍を送る。捕虜たちは涙を流して味方の騎馬を歓迎した。  敵味方が真っ向から激突し、王国の太刀と南方の民の柳葉刀がガンガン打ち合い火花をあげる。  力が拮抗している今が好機だ。  儚那も弓隊に混じり、馬上から次々と矢を放った。

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