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第64話 南方烈氏鵺の乱⑧

 臨時の守り役にされた棍崙から水の杯を受け取り、飲むと口の中がざわりとした。足腰はどこかふわふわとしている。  発熱しているのが経験で分かったが、皆にこれ以上の面倒を掛けるのは憚られ、 「……ありがと」  熱のことは明かさずに頭巾の陰から笑顔を見せると、棍崙は頬に少し朱を差した。  陣中に戻り指揮を執る蘇芳の背中を目で追いかける。武人だと聞いてはいたが、実際に戦場で剣を取る姿は始めて見る。  左手で手綱を取りつつ右手の太刀ですれ違いざまに敵を薙ぎ倒す蘇芳の仕業は、苛烈だが美しくもあった。 「雑魚は相手にするな、狙うは族長鵺の首ひとつ! 将を獲ればこの戦は終わる!」  檄を飛ばせば「おお!」続く兵たちが声を上げる。  群がる敵の刃を太刀の面でギャリンと受け流し、混戦をぶち破って進撃を続ける。  時おり垣間見える表情は歴戦の剣士そのもので、本当にこれが離宮の海を共に眺めた同じ男なのかと疑った。 「鵺ええ!!」  敵将に近づくごとに厚みを増す守備兵の壁に、真っ向から風穴を開ける大太刀の斬撃。  数こそ多いが確実に道は開けていく。 (抜けた!)  儚那は目を見張った、しかしそこに鵺の姿はなかった。  蘇芳がとっさに左を向いたのは勘だったろう。騎馬の特性として左の守備が弱くなるその横っ面に、鵺の大鉾なる青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)が唸りを上げて襲いかかった。   「くっ!」  蘇芳は馬首を変える暇なく大太刀で受け止め、しのぎ切ったが馬体が沈み込むほどの衝撃を受けて上体がふらついた。  間髪入れずに繰り出される突き技をかわし、重い剣戟と大鉾の激しい打ち合いが始まった。 「キサマばかりは生かしておけぬ!」 「お前とはよほど悪縁が強えらしいな! 儚那はどこだ、死んだわけじゃねぇんだろうが?」 「知っていてもキサマなどには教えるかァ!」 「ハッ、だろうな」  ならば死ね。  吐き捨てて弧を描いた偃月刀の矛先は、蘇芳の鎧を打ち破りその腹部にまで届いた。 「ぐっ!」  真一文字に裂かれた腹を庇い衝撃に耐え忍ぶ。 (押されている)  見守る儚那の鼓動が痛いほどに胸を打った。 「大丈夫です」  励ます声に振り向くと棍崙の目が笑っていた。 「長さ九尺を超すあんなでたらめな大太刀を振るえるは、我が殿蘇芳様をおいて他にありませぬ。敵の将が化物ならば、こちらの将も化物ですぞ」  豪速で空を凪いだ大太刀が鵺の偃月刀を押さえつけ、   「らアァッ!」    止められたが力技でじりじりと押し込んでいく。  始め力比べを楽しむ余裕の見えた鵺の目にもしだいに焦りの色が浮かび、ついに振り切った大太刀がその右肩に食い込んだ。  鵺の肩から脇腹にかけて赤黒い血が噴き出し、 「チッ!」  蘇芳は返り血を浴びた眼鏡を忌々しげに投げ捨てた。

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