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第66話 南方烈氏鵺の乱⑩

 儚那は矢を番えると、最大限に引き絞って鵺の胸に的を定めた。  腕の痛みと恐怖のあまりに額に汗が滲んでいく。  今だ、射れ!   そう強く自身に命じた瞬間、蘇芳の背に向けられていた鵺の矢が、唐突にこちらに向いた。 (気付かれた!?)  動揺しわずかに震えた指から必殺の矢は放たれた。ほぼ同時に鵺の矢が空を切り裂き儚那を襲う。  儚那の放った飛矢は、ドッと肉を穿つ音を立て、鵺の胸近くに深々と命中した。  鵺の矢は身をかわした儚那の頭巾を突き通し、ゴウと唸りを上げながら頭巾を引き剥がしていく。  ついにあらわになった弓使いの顔。  鵺の目が驚いたように見開いた。 「────儚那?」  ぷつ……と、鵺の口唇から血液があふれた。 「な…………、なぜ……」  見開いた目がただ茫然としてこちらを見つめる。 「私は、私はそなたに殺されぬよう、女官に扮して弓を学んだ王太子である。もっとも、父王の亡き今は、国王であるが……」 「おう、たいし……?」 「そうだ。そなたが探す女官の儚那は、かつてこの国の王太子であった男だ。故にそなたが心に掛ける蔡桜なる者は、私の身内でもある……」 「……な、……」  真っ直ぐにこちらを映す瞳はいっそ天衣無縫(てんいむほう)な幼子のようで、(はか)らずも鵺を騙し討ちにした儚那の胸には苦い思いが残った。 「……なる、ほど、そうか……だからお前、サイと似て…………、そうか……なるほど、…………なるほど、そうか──」  寂しげに沈み込む赤い瞳。その体幹がぐらりと揺れて、馬蹄に踏みしだかれた荒野の上にどさりと落ちた。  戦場の視線が斃れた鵺の上に注がれる。  やがて味方の兵が勝鬨を上げた。  どっと歓声に沸く離宮の庭園。しかし儚那の視線は荒野に繋がれたままだ。 (鵺……)  この者のために多くの犠牲を払った。  恨んでも恨み切れない忌むべき男のはずなのに、なお愛惜の思いを捨てきれないのは、なぜなのだろうか。 (そなたは私の、何だったのだろうな──)  宿敵を倒したはずなのに、自身の心も共に失われていくような喪失感。  儚那はいちど目を閉じて、また開いた。 (否…………)  それでもいま己が向かうべき所は、王国のために死力を尽くした将の元こそがふさわしい。  下馬した儚那は、右足を引きずりながら蘇芳のもとに駆けつけた。ゆっくりと振り返った蘇芳の顔は酷く青ざめていた。 「あ、矢傷が、ひい様……」  震える指先が触れたのは、鵺が放った矢羽根でわずかに傷ついた儚那の右頬。 「こんなの、かすり傷だ! 私のことよりもそなた、……あ……」  蘇芳の腹の創傷と突き刺さった寸鉄の下に、嫌な血溜まりができている。 「止血をしなくちゃ、早く!」  自身を叱咤しながら指示を出したが、見つめる景色の何もかもがだんだんと滲んで見えなくなっていく。 「泣いて下さるのですか? 私などのために……?」 「蘇芳っ」 「ならばこの命、生まれてきた甲斐が、あったというもの……」  独り言のように呟くと、がくりと目を伏せた。 「蘇芳っ!」  手首を取れば、か細いがまだ脈はあった。呼吸も浅いが止まってはいない。失血のあまりに正体をなくしたものと思われた。  将を討たれた絶望に焼かれ、暴徒と化した敵兵の収束もつかぬ中、儚那は蘇芳の守りを固めてその鎧を脱がせると、でき得る限りの処置を進めた。

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