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第68話 月虹国戦記
「そんなの既成事実を作っちゃえばいいじゃありませんか」
「首尾よく子供でもできたら万々歳!」
「さすがに誰も手出しできなくなりますって」
と紅玉、木蘭、春麗には言われたが、まさか一国の主が、頑固親父に抵抗する町娘のような奇策に打って出るわけにもいかない。
げっそりとして姉に相談を持ちかければ、
「まああなた、いったい何を悩んでいるの? 立場立場と嘆かずに、あなたは立場をもっと利用すれば良いのよ」
こともなげにそう言い返された。
「立場を利用、ですか……?」
「そうよ」
うふっと意味深に笑んだ姉の言葉の意味を考えつつ、他国の歴史や政治経済に何か糸口になる記述はないかと丹念に調べ始めた。
そうしてまたひと月が経った頃、儚那は離宮の浜辺を視察に訪れた。ようやく歩けるようになった蘇芳の療養を兼ねてのものだった。
澄みきった空と珊瑚礁を見ていると、少し前にここが戦場になったことなどまるで嘘のようだ。
あの戦で後宮、離宮はともに兵の命こそ失われたが、王族やその他の女たちと、それに随伴する子供たちはみな『女官に化けよ』と伝令した蘇芳の機転で難を逃れた。
「鵺と言葉を交わされたとか」
「うん……」
鵺は見た目の傷が癒えたが、肺と心臓に矢をかすめたことで致命傷に近い傷を負い、その代償として呼吸をするのも困難な体になっていた。
とても立ち上がって人を襲う危険性はないだろうとの医者の見立てのもと、儚那は再び牢に出向いたのだった。
「そなたは私を、恨んでいるだろうな……」
牢の前にしゃがみ込み、うつむいて問いかけると、鵺はわずかに喉を鳴らしたようだった。傍には蔡桜が眠っていた。
「別に、恨んじゃいねえよ。お前はお前の思う通りに、生きただけだろ」
「え……」
意外な返答に顔を上げると、鵺らしい強い瞳が笑っていた。
「ごちゃごちゃ頭でっかちに考え過ぎなんだよ、お前は。王太子も女官も関係ねえ、お前はお前だ。それで恨みを買ったって、んなもん買ったやつの問題だろ」
「そん、──」
「いいからそのまんま、思う通りに生きていけよ。お前はそれでいいんだよ」
「……」
ぎゅっと心臓を鷲掴みにされるような言葉に、返す答えが見つからなかった。
「……なに泣いてんだよ。笑えよ……馬鹿」
柵越しに話す今日が、鵺と今生で会う最後の日になるかもしれない。そう思った。
乱の族長として、牢の中で王国と友好の盟を交わした鵺は、蔡桜とともに南方の故郷へ護送されることが決定していた。
南部には新たに南方府が設けられ、怪しい動きがあれば直ぐに抑えられる手筈も整った。
鵺の証言によれば、長きに渡り王国と小競り合いを続けてきた南方の民に王と王太子暗殺の謀を持ちかけて来たのは、羅丹一派の方であった。
鵺はそれを王族への積年の恨みを晴らす好機と考え、いずれ討ち取るべき羅丹に表向きは追従するふりをしながら、羅丹が乱を起こす時を虎視眈々と待っていた。
種別証書を捏造し、α性を隠してまで王宮、後宮に出入りを許したのはもちろん羅丹で、これにより鵺は乱の下見を充分にする機会を得た。
ただひとつ誤算であったのは、その肝心の王太子を、そうと知らずに心に掛けてしまったことだ──。
「今頃はもう故郷の土を踏んでいるのでしょうな。この浜の続いていくずっと彼方に」
浜辺の先を遠く眺める蘇芳にならって、儚那も南海の空に思いを寄せた。
こうして全てに決着を迎えた事の顛末は、『南方烈氏鵺の乱』として『月虹国正史』並びに『南方烈伝』へその名を刻み、永く王国の史に語り継がれていくこととなった。
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