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第72話 月虹国の恋姫③

 そのころ儚那は、自室の寝具の中でまさしく進退極まっていた。  というのも今日の昼間に女官たちが部屋へ押しかけて来て、 「ねぇひい様ぁ、なんで蘇芳様を呼ばないんです?」  と儚那自身が最も気にしていることを出し抜けに問うて、 「いや、だってそんな、私から呼ぶなんて……それじゃあなんか、いかにもこう、誘ってるみたいで!」 「いや……」 「だから」 「お誘いするんですって」 「無理そんなの!」  耐えきれずに耳を隠した。すると紅玉がこれ見よがしに木簡の文を広げ、 「もうっ、姉宮様はめでたくご懐妊されたと便りが来ましたのに」 「そうですよぉ、私なんかもうちっちゃい足袋を三足も編んで待ってるんですからね?」  木蘭が柔らかそうな白糸で編んだ力作を見せてくる。 「……いや無理ぃ!」  顔を覆って真っ赤になってしゃがみ込んだ。それは儚那とてなんとかしたいと思ってはいるが、決心がつかぬうちに今日まで来てしまった。 「ああもう歯痒いですわー! ひい様の方から動かなくてはどうにもなりませんのよ」  のしかかる一言を残して女官の嵐が去った後。  どうしよう、どうしようかと、ウロウロウロウロ部屋の中を歩き回って、 (でも二ヶ月も話してないのに、いきなり誘うだなんて……)  と、ならばまず明るいうちに会って世間話でもしてみようかと、恐る恐る蘇芳の部屋を訪れた。  が、あいにくの留守に出鼻をくじかれ、何となく引き下がれずに部屋の中まで忍び込むと、椅子の背に上着が掛けてあった。  手に取って袖を通せばスポッと全身が収まって、指先すらも出てこない。大きい。ぶかぶかの上着は懐かしい香りがして、どきどきと呼吸が早くなった。  初めはそれだけだった。  それが、どくん……鼓動がひときわ強く打ったあとに、それは起こった。  急にめまいがしたかと思えば、身体中がじんじんと熱を持っていく。 その感覚を儚那は知っていた。  王宮の森で鵺に触れられ、急激に熱を帯びたあの感覚だ。  でもあの時は、鵺の持つ優勢種に惹かれてのことだったはず。  今は事情が違うのに、どうして?    理由はまるで分からない。  あの時と異なることといえば、息苦しさはなく心が高揚していることと、この上着を返したくない、欲しいと強烈に思うことだ。  否、一枚ばかりでは全然足りない。  儚那は部屋中を漁ると、寝具の覆いを引き剥がしてそれを風呂敷代わりに広げた。  そこに箪笥の服をありったけ詰め込んで持ち帰り、自室の寝台の中に引き込んだ。  自分の匂いさえ不要に感じて着ていた服を全部脱ぎ、持ち帰った中から適当な服を身につけて、布団の中に頭から潜り込んだ。  それが今だ。  どうしよう、どう言い訳をして返せばいい?  だいたいなぜこんな気持ちになっているのか。これではまるで、好む枝葉ばかりを集めて巣をかける鳥のようだ。  と、どこからかバタバタと騒がしい足音が聞こえてくる。とてつもなく嫌な予感がして、布団の中で身を縮めた。 「ひい様、ひい様はご無事か!?」  廊下側からドンドンと扉を叩かれ心臓が飛び跳ねる。しかもその声の主は、今一番会うのがためらわれる相手だ。 「どこぞに賊が潜り込んでいるようなのです。私の部屋が物盗りに遭い、散々な有様で! 南方の民の残党やもしれません、お怪我はないか!?」 (ひいいぃっ……)  お探しの賊はここです、とは言えない。  布団をぎゅっと被ってやり過ごそうとしたが、 「なぜお返事をなさらない? できない訳でもあるのですか!?」  締め忘れていた扉が開いて、つかつかと蘇芳の足音が近づいてくる。 「ひい様、──ひい様? そこにおられるのか……? まさか中に賊が……」  ぶつぶつと案じる声はすぐ側から聞こえてくる。ややあって布団の端をぐっとつかまれる気配がした。 「開けますよ」 「やだっ、開けないで!」 「なぜ? 具合でも悪くされたか? ならば余計に放ってはおけない」  バッ!     取り上げられた布団の中から、上下や様々な衣類の類があめあられと降ってきた。

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