66 / 89
#スイーツ男子の試練は冷たく口溶け易いババロアのように試される⑧
「お待たせっ!あれ〜お二人さん取り込み中だったかな?」
「何言ってるんですか。俺たちラブラブだけどちゃんと場はわきまえてますからっ」
「あ〜冗談だよ。待たせてごめんね」
ドアが開いて吉岡とアルバイトの姿が見えてると暖は二人が両手に抱えたトレイの上に釘付けになった。何種類ものスイーツが乗っていて様々な形や色をして視界を楽しませ、食欲が掻き立てる甘い香りに嗅覚が踊る。
『凄いっっ!何だか宝石みたい♡』
「でしょ。撮影用ってのもあってちょっとゴージャスに盛ってみたけどね」
暖の目にはテーブルという名の宝石箱に宝石が並べられていく様に見える、しかも一度にこんなに大量にしかもタダで。
スイーツと言うのは行ってしまえば贅沢品だ。遡れば子供の頃、近所のスーパーや駄菓子屋に行き50円そこらのお菓子でさえ買うのに躊躇した。
お菓子でお腹が膨れて家での晩ご飯を残しと母親によく怒られたものだ。
そのせいか身長は伸びずクラスの背の順の並びはいつも前だったがそれから10年経った今、何万人が観るチャンネルでスイーツレポができるというのだから人生捨てたもんではない。
「それじゃ、撮影始めちゃおう」
『あっ、よ、よろしくお願いします』
準備が整い撮影が始まった。暖はマスクは外しているものの帽子を目深くかぶって、カメラは引き絵で照明は少し落とし顔がはっきりとは見えない工夫をした。
リアルな感想を聞きたいからと言う理由で事前にリハーサルで味見もする事もせずいきなり本番になった。これがテレビ番組とは違う配信独特のリアルな部分だ。
そのすぐ隣には大我がいて、今回はただ食べる暖を見守る役割だが楽しく恋人同士が一緒にカフェに来たと言う雰囲気で進行する。
そう、このお店は何たってChéri なのだから。
「さっNATSU、今日は何かと言うと!?」
『えっと今日は僕メインの動画で贅沢にスイーツをお腹いっぱい食べさせてもらえる動画です』
「そう!ほらさ少し前に俺のバイク動画出して好きなことやらせてもらったからね」
『バイク動画すごくかっこよくて再生回数もすごく伸びてたよね』
「あの動画では普段このチャンネルを見てないバイク好きの人達にも反響あって嬉しかったな。それで次はNATSUの好きな事をって思ってね!」そして今日来たお店はと言うオープンしたばかりのお店ー…」
今日の配信の内容やお店の紹介を2人の息ぴったりのやりとりでスタートする。配信を始めた頃に比べ、暖は随分とスムーズにカメラの前の視聴者へ向かって声も大きくつっかえずに話せるようになった。過去の引っ込み思案な暖の面影はこれを見る限り想像出来ない、人気のインフルエンサーの仲間入りだ。
オープニングもほどほどに個性的に主張する宝石 を早く試したくて"いただきます"と手合わせてフォークををケーキに沈ませた。ふんわりとした弾力は力を入れなくてもちょうどいいサイズに切れて口の中に入って舌が甘みをキャッチする。
『うわっ!何これっ美味しい♡』
ついつい声を張って顔をぐいっと上げた。暖にとってスイーツを食べている瞬間は撮影だろうと飾らない素顔のただのスイーツ男子に変わる。そう言って次々と口に運んでいくとあっという間に1つ目のお皿を平らげた。
『じゃ次はこれいただきます』
止まらない右手のフォークの口の動き感心すら覚える。横でそれをじっと愛おしそうに見つめる大我だが、さすがにカメラの存在を無視で黙々と食べ進めるマイペースな暖をカメラ後ろで心配そうに見ている吉岡に気付いた。
「あー、でもさNATSU、美味しいのは分かるんだけどもう少し喋ろっか!」
『あっそうだった、ごめんッ!』
「どんな味か伝えてよ。ほら今までみたいに」
言わば食レポってやつ、だけど出来ない訳じゃない。これまではこれを文章に起こし、SNSに乗せていたのだから。大我はそれを匂わせるような発言を冗談まじりで言った。
数ヶ月で人生ががらりと変わったのをこの時ばかりは本当に実感した。あの時の300人のフォロワーはきっとそんな現実を知らない。
ともだちにシェアしよう!

