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第14話

「今すぐ、西野先生を・・・美術室へ行って!」 奏の切羽詰まった大声が、携帯から聞こえた。 いつだって冷静沈着な奏が取り乱す事なんて 思い返してみてもあの事故の時以来初めての事だったから 俺は驚いて『え?』と戸惑ってしまった。 「先生が・・・西野先生が・・・  脩、早くっ!!」 再度、泣きそうな声で告げられたその一言で 何か大変な事が起こっているのだとやっと気付いた俺は 美術室を目指して走り出した。 息を切らしてたどり着いたもののドアには鍵が掛かっていて 「・・・先生!西野先生!!」 ドンドンと扉を叩きながら大声で叫んでみたけれど 室内は明かりもついていないし、物音ひとつしなくて。 「クソっ・・・!  何だよ・・・居ねぇの?」 でも・・・ 奏の慌てようは尋常じゃなかった・・・ そう思い返して、額から流れ落ちる汗を手の甲で拭う。 『どうしたらいい・・・』 ぐっと拳を握りしめ ハァハァと荒い息を落ち着けるように深呼吸をしたところで ハッと気が付いた。 隣の教室のベランダ越しになら、中に入れるかもしれない。 確か準備室のベランダ側の扉は鍵が壊れてるって 先生がボヤいていたのを思い出したのだ。 俺は隣の教室に走り、ベランダから美術室へ行けば 案の定、扉はガラリと開いた。 「先生!西野先生?  居るんだろ?  ・・・先生!!」 部屋に籠もった、絵の具の匂いとは違う ムッとする臭い・・・・ 『・・・先生!?』 俺は壁にある部屋の電気のスイッチをつける。 明るくなった美術室にはっと目に映ったのは 足の踏み場もないほど絵の具や絵筆、キャンパスが散乱した部屋。 そして・・・ その影に倒れて動かない先生と 部屋の隅で茫然と立ち尽くしていた恭一さんだった。 「先生!!」 ぐったりと床に横たわる先生は・・・ その身体に触れるのさえ戸惑われるほど傷だらけで 思わず息を飲んだ。 明らかに乱暴された後・・・ そのあまりにも酷い状況に正直、頭が真っ白になり どうしていいのか分からなかった。 呼びかけに応えられないほど、先生は意識を飛ばしていたけれど その薄い胸は上下に動いていて 震える手で、先生のジャケットを拾うとその身体に掛ける。 「・・・どうして・・・?」 思わず漏れた俺の呟きに 部屋の隅にいた恭一さんが大声で叫んだ。 「・・・こ、こいつが・・・こいつが先に誘ってきたんだ!!  ・・・俺は悪くない、俺は・・・  俺は悪くない!!」 目の前で傷だらけで倒れている先生を見ながら 俺は恭一さんの言葉に 我を忘れるほどの怒りが湧き上がってくる。 立ち上がり、恭一さんへ向き合うと 目の前の彼は、ガタガタ震えながら 「お、俺は誘惑されたんだよ?  なぁ・・・脩、わかるだろ・・・?」 と、年下の俺に縋るように へらっと無理矢理口元だけ笑みを浮かべイヤらしい顔をした。 その表情にカァっと頭に血が上る。 ドカッ! 鳩尾に蹴りをいれて多分・・・ 二、三発殴ったと思う。 その後は・・・ よく覚えていない。 とにかく先生を、どうにかしなくちゃ・・・と 生々しい傷痕や、赤く染まった肌を キャンパスに掛けてあった大きな布で隠した。 「脩!脩・・・!?」 奏が呼ぶ声が、隣の美術室から聞こえ その声に俺は・・・ 『・・・駄目だ・・・  奏にはこんな酷い先生の身体・・・見せられない・・・』 そう咄嗟に思った俺は奏に 「入ってくんな!」 思わず大声を上げていた。 でも・・・ 俺ひとりではいくら小柄で華奢だとはいえ 脱力して、しかも傷だらけの成人男性を運べない。 「・・・脩、どうしたらいい?」 奏が扉の前で立ち止まったまま声をかけてきた。 その声が泣きそうに弱々しくて 俺は内鍵を開け急いで奏の側に駆け寄った。 そこには、ハァハァと肩で息をしながら 青ざめて今にも泣きだしそうな顔をした奏が居て・・・ 思わず、俺は震える奏を抱きしめる。 「・・・大丈夫、大丈夫だよ」 ・・・奏の震えを止めたかった。 いや・・・ 自分も震えていたんだ・・・ 気付けば恭一さんはいつの間にか姿を消していた。 暫くすると 「・・・脩?・・・奏?  遅くなってごめんね・・・どうしたの?」 尚兄の優しい声が、背後から降ってきた。 「「・・・尚兄・・・」」 二人の声が被る。 俺は涙がポロッと零れて止まらなかった。 抱きしめたままの奏の目からも ポロポロと涙が零れて頬を濡らしている。 「・・・せ、先生が・・・先生が・・・」 「尚兄・・・どうしよう・・・」 尚兄は『大丈夫だから』そう言うと 大きな手で俺たちの頭をポンポンと優しく宥めてから 準備室へ入って行った。 俺は涙を拭いながら、その後に続いた。 「・・・ヒドいな・・・」 尚兄が低い声で呟く。 こんな深刻そうな顔をした尚兄を見たのは、始めてだった。 「・・・尚兄・・・」 不安な声を出した俺に尚兄はハッと振り向くと 「大丈夫だよ、脩・・・  ちゃんと先生を守ったんだなぁ・・・頑張ったなぁ」 そう言って笑ってくれた。 尚兄は直ぐに、奏のところへ行くと 「西島先生に連絡して  家に来て貰えるか聞いてくれる?」 そう指示をだした。 そして『自分が先生をおぶって運ぶから背中へ背負うのを補助して』と 言うとテキパキと行動し始めた。 結局、尚兄の言う通り保健室ではなく そのまま俺の家に先生を運んだ。 先生を2階の客室ベッドに寝かせていると 『悪いなぁ・・・風呂上がりなんだよ・・・  水も滴るいい男だろ?』 しっとりと濡れた髪のまま軽口を叩きながら 近所にあるかかりつけの病院の西島先生が 駆け付けて来てくれた。 いつものように、ニヤケながら 『辛気くさい顔してなぁ』 って、笑っていたけれど 西野先生の状態を一目見るなり 『席を外しなさい』 と、表情を固くして俺と尚兄を部屋から出した。 リビングへ戻れば 不安げな様子で奏が無言で瞳を揺らして見つめてきた。 スッと尚兄が奏の、小さな身体を抱きしめて 背中を優しく撫でながら 「・・・大丈夫、先生は普段はチャラけてるけど腕は確かだし  優しい人だから・・・任せよう・・・」 そう言いながら 『・・・ね?』と奏を愛おしそうに見つめる。 「脩・・・?  脩も、心配しすぎたらダメだよ?」 俺に振り向いた尚兄は 今まで見たなかで、一番かっこ良くて 優しく強い瞳をしていた。 治療を済ませた先生が 『終わったよ~』と、間延びした声で戻ってきたけれど 「・・・肋骨にひびが入ってるかもしれないから  暫くは安静にする必要があるなぁ・・・  まぁ、明日も一応、消毒のために来るから  大丈夫、安心してね」 俺たちを和ませるようにウインク付きで、話してくれた。 そして 「・・・よっぽど、抵抗したんだろうな・・・  大人しくしていれば、あんなに暴行されなかったはずなのに・・・」 そう、真面目な顔をしてポツリと呟いた言葉に 俺は恭一さんへの怒りを握った拳に詰め込む。 ひとまず、お茶でも飲もうとテーブルに緑茶が並んだ時 バタンガタンと大きな音とバタバタという騒がしい足音と共に 父さんが血相を変えて帰ってきた。 「・・・ま、真くんは?  おい、彼はどこだ!!」 大声で叫びながら、慌てふためく父さんを見るのは 初めてだった。 「亮一・・・亮一!!  落ち着けって!  そんなに騒いだら、彼が起きてしまうし子供達だって心配になるだろ?」 西島先生が慌てて落ち着きのない父さんの肩に手をかけた。 先生は父さんの先輩で未だに頭が上がらないらしい。 父さんは西島先生の言葉にはっと息を飲むと ふぅ・・・っと大きく息を吐き出した。 「こっちだよ・・・」 そういうと西島先生は父さんを二階へ促した。 その後、大人達の間で何が話されたのかは分からない。 青白い顔をして、リビングへ戻ってきた父さんと西島先生は 二人きりで書斎へ消えると暫く部屋から出てこなかった。 西野先生を傷つけた恭一さんは その後も学校で事務長を続けている。 父さんは表沙汰にしないように 何度も理事長と話し合ったらしい。 父は学園に多額の寄付をしている。 理事長のおじさんだって父さんには逆らえないはずなのに 恭一さんが『先に誘ってきたのは西野先生だ』と 言い続けているせいで 理事長はその言葉を信じているらしかった。 父さんは西野先生を守るために西島先生とも相談し 学園の教師を辞めるように西野先生に奨め先生は辞職した。 それから・・・ 体調が落ち着くまで俺の家で療養することになった西野先生は 目が覚めて、意識が戻った後も一言も喋れないほど 心に傷を負ってしまった。 その間、俺は何度も声をかけたし わざとおどけて笑ってみせたりと 先生を元気づけようと頑張ったけれど その顔に笑顔が戻ることはないまま・・・ それから数日後・・・ 学校から戻ると先生の姿は・・・ どこかへ消えていた・・・

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