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第2話 雨だったら…

 久々の休暇となった今、完璧にフリーになりたかった。  自分に戦闘力がないことも、考察力がないことも、前回の事件を振り返るほどに認識させられた。  今回も相棒がいないことを理由に監察官のフォロー役に就かされた。現場に出るより机上で作戦を練る方へ進んでほしいという、上の願望もあるようだ。事件の筋を読み行動することに差異はないと思うが、相棒という単体より、帳場全体の行動まで考えなければならないのは苦痛だった。事件より人間関係、上下関係、帳場の威厳。所轄の地の利、交通、文化風習を知りもしない人間に頭を押さえられ行動することを善しと思うものなどいない。マウントを取るつもりもないが、全国域の凡例と知識をもって指揮するために出張った本庁と、息があうわけはないのだが、誰もができるだけ円滑に、ストレスなく事件に集中できるように補佐をする。  考えることは多く、身体を動かすより重労働だと感じた。  何も考えずにただ泥のように眠りたい。外出届も出していないので、本来なら代々木上原の家で過ごさなければいけない。だが、今から向かうのは億劫だ。  東京タワーが視界をよぎる。昼でも陽が当たらない、暗く狭い路地を進む。地震があれば崩れそうなブロック塀を曲がり、自転車では通れないと言われるほど枝が垂れ下がった樅木を払い、蔓草の絡まる錆びた階段を上って玄関を開けた。電気を点けず窓から外を覗くも、おぼろな街灯に照らされた道に人影はなく、ようやく安堵の息をついた。  一時帰宅のために借りた赤羽橋の物件は築60年の木造アパート。「東麻布 2DK」では事故物件に近い家賃だった。ユニットだがトイレ・バスはある。ガスコンロもあるのでコーヒーを沸かして飲むこともできる充分な住居だった。  紙の湿ったような独特の匂いがする。この匂いが好きだ。梅雨の時期はカビの匂いを感じないこともないがそれほど気にはならない。浴室前の通路でスーツを脱ぎ、シャワーを浴びて部屋に入ると古本の海が待っている。  読書は昔から好きだった。読書は自分の思考を止めてくれる。否、ありもしない他人の感情に移入して、自分の感情を殺してくれる。だから、読書が好きになった。読みたい本があるわけではないので、それこそ古本屋の片端からでも構わないほど、無節操に何でも読んでいたが、刑事になってからは兎角、ミステリーやサスペンスの方が没頭できる。事件を忘れて眠るつもりでも、そうはできない。考えることをやめれば眠ることは容易い、とわかっていてもなかなか思考を止めることができない。だが、本の世界に没頭することで、現実から切り替えて眠りに落ちることができると知った。  本棚を作るほど住居として考えていなかったため、ざっくりとジャンル分けしながら山を並べ、部屋中に積むだけとなっている。  本を積みすぎて床が抜けるなんて話を聞いたこともあるが、2~3列ごとに人一人が通れるほどの通路は確保しているし、腰の高さくらいまで均等に積んでいれば、床が抜けるなんてことはないだろうと思っている。6畳と4.5畳を仕切る襖は外して窓を塞いである。ソファとベッドと本のビル群、圧巻というよりいつもても少しだけ笑ってしまう。時間があったら廊下からベッドまでは直通で行けるように並び変えたいと思いながら、いつも迷路を進むように窓際まで行って、低いところを跨いでベッドへ向かう。  ベッドの半分には本職の資料が無造作に積んである。本と同様、終わったものも捨てずに積んである。仕事の資料とノートパソコンを広げるためのスペースは辛うじてある。今回のことは片付いたので、まとめて隣の山へ積んだ。パソコンからも同様に、事件にかかわる資料を消去した。  空腹感がある。そういえば昼から何も食べてない。湿気臭いこの部屋に食品を持ち込んだら、すぐに黴が生えるだろうから、備蓄はない。ペットボトルをあおって半分ほど一気に飲む。  スマホを充電器に差し、一瞬躊躇いながらも天気図を確認した。  期待する傘マークはない。……雨だったら、邪魔にはならないはずだ。だが、天は味方しない。それでも暫く眺めていた。やはり、そろそろ眠らないと頭が回らないみたいだ。  さっきの猛ダッシュで最後の力を使い切った。太陽のマークを指先でなでながら、東京ではない地方の名前をじっと見つめた。

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