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第6話 整理整頓

   *  鮭をほぐして茶碗によそり、食卓に並べてみると作りすぎたとわかる。鮭皮だけでごはんが進むから、ナスもトマトも二切れだけしか入らなかった。  麦茶を啜って一息つく。  何シテンダ、オマエ。  料理に没頭して先送りにしてた疑問が下りてくる。押しかけ女房なんて流行らない。流行りの問題じゃなく、1、2度寝ただけで恋人気どりか? 何してんだ、お前。 「困ったときは俺を呼べ。いつでも助けにいってやるから」  呼べば来る? 事件もなしに、どうやって呼ぶ? 助けが必要じゃないと呼んじゃいけないともとれる。  電話番号はお互い知ってる。掛けようと、思ったことはある。でも、何故掛けてこないのか、考えたら掛けられなくなった。意地になって、その答えに塞がれて先を考えなかった。  裏社会から離れて農業を楽しんでいる男を、逆の立場となる警察側に加担させることにも、無遠慮な感じがして嫌だった。そうじゃない。事件に巻き込みたいわけではない。むしろ、事件も警察も、仕事を離れたなんでもない時間を、一緒に過ごせたら……と思う。ただ……肌に触れたい。ただ、そばに……。  彼はザッシーと呼ぶ。名前で呼ぶよう要求しても。  徳重の方が年下だが、おそらく自分よりも経験は深く広く、頭の回転も速いのだ。  瞬時に食器の配置を推測することが容易いように、見取り図にない部屋を見つけることもできる。手ぶらで抗争に乗り込んでも、適格な武器を拾い、誰がボスか強者を嗅ぎ分け、最短且つ無駄のない戦闘能力を発揮する。  どんな人生を送ってきたらそうなるのか、望んでも手に入らない頭脳と体力がある。  だからこそ、「ザッシー」なのだろう。  浅はかな自分は、彼の側で暮らせるなら、田舎の署長でもいいと望んだりもしたが、恋愛小説のように望む通りの運が降ってくる展開にはならない。ただ、環境に恵まれている俺は、本気で望めばそういう展開にも転がれる。しかし、その先を考えれば、良くない転回だ。  裏社会の人間は足を洗っても、『元裏社会』と呼ばれるだけで、その経歴は消えない。関係がバレれば警察官としての地位は、否、俺は職を追われる。  簑島渉、一個人と認めてしまえば、火遊びでは終われない。  わかっているから名前では呼ばない。そういうことなんだと思う。  二人の未来なんてものはない。  俺だけが浮かれていた。現実逃避して、ただ目の前の温もりにしがみつこうとしていた。  そういうことなんだと、思う。  あの体温や声を思い出しても、自分を慰める気持ちにもならないことを列挙してみた。整理整頓できたからといって、理解したことには繋がらない。割り切ることができるなら会わずに帰ってフェイドアウトすればいい。  でも来てしまった。ぼんやりしてたら来てしまった。  「どうして」と投げかけるだろう。  でも、迷惑だという素振りも見せないと思う。だからせめて、迷惑が掛からないように、この地方が雨ならば狙って行っても問題ない。アプリの地域設定をしたときは、そんなことを考えていた気がする。逆に、雨なら来てくれるのではないかと、僅かながら期待したこともあった。  ちゃんと俺が、現実的に考えれば、そんな夢のようなことは起こらないと分かるはずなのに。  少しだけ、夢を見ていた。これを恋愛というかはわからないが、そばにいるだけで幸せだった。想うだけで、満足だった。徳重が電話してこないことも、名前を呼ぶこともないことも、先がないとわかっているからだと、ちゃんと理解しないといけない。  いつか終わることだ。  始まりがあるものはすべて、終わりがある。そもそも、一度きりで終わらせるはずだったのに、5月の事件に徳重が乗り込んできた。「ここで死ぬんだな」とあきらめかけていただけに、頼り切ってしまって、弱音を吐いた。その延長で、最後の逢瀬を望んでもいいだろう?  夢の種を撒いたのが自分なら、自分から摘み取るしかない。奥歯を食いしばりながら、立ち上がる。  食卓を片付け、皿を洗い、風呂の準備しながら、古新聞を濡らして窓を磨き、トイレットペーパーでさらに磨きをかける。  乾いた洗濯物を取り込んで、適当にたたむ。冷房の中だと、干し草のようだ。  徳重はどんな顔をするだろう。考えるとウキウキするような、鉢合わせないうちに逃げたいような、相反する考えが同時進行しているような、半々の気持ちが瞬時に入れ替わり捩じれながら襲ってくる。  手のひらで目元を押さえてみる。考えていることと、これからしなくてはいけないことと、気持ちの乖離。バラバラすぎて一つも回収できる気がしない。  終わりにしなきゃいけないのに……。  ついさっき至った結論を重く受け止めることができず、フワフワした感覚がある。負のイメージしかないくせに、気持ちは真逆。「逢いたい」それだけが大きすぎて、いつもそればかりが先にきて、何もまともに考えられない。  もう一度、自身を打ちのめすほどの思考を引き寄せる。  助けた報酬だ。  三ヶ月も音信不通だった。  ちゃんと、好きだと言われたわけではない。  名前を呼ばない。  自分もそうだったように、都合がいいだけの関係だったのだ。  心から想っていたわけでもなく……、心のモヤモヤを言葉にしようとして、瞼の裏に勝手に流れるスクリーンに思考が止まってしまう。止まるというより、あの腕が伸びれば、包まれる安堵感を思い出してしまう。腕だけでなく、厚い胸元や、不貞腐れる顔や声、匂い、感触、何気ない仕草まで……。  目元を押さえていた手で、無能な頭を殴ってみるけれど、瞼の裏のスクリーンを止めることができない。子どもだ、俺は。  切り替えないとダメだ。  先がないなら、終わりを伝えないといけない。  頼り切っていたら、失う。  もう、過去を繰り返してはいけない。

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