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第12話 名前

 獣と化した徳重を受け入れるほどの体力はなく、二度目で果てた。    * 「服着ろよ」  ほぼ寝落ち状態で、シャワーを浴びたことは覚えている。布団に戻ろうと思ったら、シーツをはがした布団が昼間のように立てかけられていたので、エアコンの下へ這っていき、座布団の上に丸まった。冷風の直撃は冷えるので、バスタオルを上から被って全身を隠す、足だけ出るのはしょうがない。バスタオルのうえに何かが落ちた。笑い声とともに。 「一反木綿みたいだ」  無邪気さに殺意を覚えるが、応対する気力もない。 「腹減らないか?」  それより眠い。首を振ると気配が消えた。  台所で音がする。カチャカチャと皿を並べる音とともに、歓声が上がる。…うるさい。起き上がって投げられたTシャツを着て台所へ行った。 「これ、ウマい」  茶碗からかき込むようにごはんを食べている。寝間着替わりなのか、涼し気な甚平を着ていて、ちょっとかっこよく見えた。  ポットから雪平なべにお湯を入れてガスを点け、冷凍庫からラップで丸めた味噌玉を投げ入れる。冷蔵庫で冷やされた焼きナスを頬張りながら、こちらに目を向けている。手を差し出すと茶碗をのせられたので、炊飯器からおかわりをよそってやった。沸騰する前に味噌玉をかき混ぜで、お椀に注いで突き出した。  一口飲んで、しみわたるように呻くとまたごはんをかき込む。  マヌケだとか、ばかっぽいとかいいながら、こういうときの徳重も好きだ。向かいに座ると「食べないの?」とまた聞かれたので首を振る。すると、椅子を斜めに倒しながら手を伸ばし、冷蔵庫から麦茶掴むと、テーブルに置いてあったコップに注いでくれた。冷凍庫から氷を摘まみ、ラップに包まれたいくつもの味噌玉を確認すると、興奮したようにこちらを見る。 「作ってくれたの?」  コップに投げ込まれた氷で、口元に水が跳ねた。手で拭いながら他所を見る。  徳重は気にせずに座り直すと、昼間の残りをすべて食べ尽くした。  空になった皿を流しにおいて、水に浸す。自分の分の麦茶を注いで、肘をついてこちらを見つめてくる。  聞きたいことはいろいろあるはずなのに、いざとなると何も浮かばず、額に手をあて窓を睨んだ。すっかり外は夜の色になっていた。それほど長い時間、身体を重ねていたつもりはなかった。時間の感覚がまるで掴めない。この家に時計はない。朝が来たら起きて、帰ってきたら眠る、それだけなら時間を知る必要もないのだろうか。それを聞いてもしかたない。  思いを巡らせて徳重の方を向いた。 「五郎……、ってことは兄弟、いるの?」  声に出してから間違ったな、と思う。足を組むついでに身体の向きを変え、視線が合わないようにした。横から声が聞こえる。 「ま、五番目の子供だよ」  同じ方向を向きながら、つまらなそうに徳重も答える。 「施設に預けられた5番目の子供だ。俺はコインロッカーで生まれた」  思わず徳重を見るが、さっき俺が見つめていた先を探すように、徳重は窓の外の黒い森を睨んでいる。 「酷いところ、だったよ」  笑うように口角を上げてる。 「二番目と、四番目は脱走した。10歳で、すげーなと思った。満足に食わせてもらえなかったし、すぐぶたれるし、絶えず誰かの鳴き声が聞こえていた」  聞きたかった話ではないが、遮ることもできず視線を向けたままでいると徳重はゆっくりと語った。  番号で呼ばれる下の子どもたちが、殴られないよう前に立った。理不尽な理由で手を上げる大人が理解できず、二番目と四番目のように脱走したいと、血の味を噛み締めるたびに思ったけれど、下の子を置いて逃げることができなかった。  ジャガイモ一個、パン一個、ごはん一杯、そんなんを食事っていうなら日に三度は出たけど、掃除をさぼった、誰かを泣かせた、テストの点が悪かった、いろんな理由で食事は抜かれて、殴られ蹴られ、お仕置き部屋。 「風邪ひいて熱があるのに閉じ込められた子は、俺が気づいたときには息してなかった」  徳重が暗い目で俯く。視線の先にその光景があるように。 「スリに万引き、なんでもやったな。それでも餓えは凌げない。近所に頭下げてみても、汚ねぇから近づくなってさ」  しんどかったなぁ。しみじみ言う。  施設の子がさすがに二桁になったころには、学校も近所の奴らも、無視できなくなった。 「貧乏で乱暴な人たちだけど、親のいない子をそれでも引き取ってくれる親切心はあるんだと思ってたんだけどさ。助成金ってやつはホントはちゃんとあって、子どもらの生活資金だったのに、使っちゃってたんだって」  子どもが話すような口調で言う。 「なぁんだ、そうだったのかぁ。人って信用しちゃいけないねぇ」  ようやく目が合ったかと思うと、瞬きを繰り返して掌で顔を撫でおろした。テーブルに手をついて前に乗り出す。 「施設は解体されてみんなどこかへ散っていった」  おしまいという間が空いた。 「そこから五郎は?」  少し睨まれたが、両肘に手を置いて見つめ返すと、暫くの間があってまた話始めた。 「里親にもらわれて、品行方正に生活しましたとさ」 「何日?」  声も上げずに笑う仕草で、徳重を首を動かす。 「一応、中学卒業までは。表面上」 「表面上、か」 「そうなるさ。スリや万引きが悪いことだと思ってなかったし、な」  あんな環境にいたから成績も悪かったし、愛想もないし、育ての親はいい人たちだったけど馴染めなかった。そこまでいうと、徳重はまた逡巡するようにこちらを見る。親指を口の端に当て、こっちをじっと見ている。「人って信用しちゃいけない」、俺も含めてということだろうか。 「鄭社長の前の仕事、なんだか知ってる?」  そこでなぜ彼女が出てくるのかわからず、ただ首を振る。  鄭社長は武器商人だ。入手した銃をそのまま流すのではなく、部品を変え整備し、足のつかない武器として売りさばいている。中国の同胞には安く、その他の人間には足元を見ながら。同胞に害があるものとは取引をせず、逆に排斥に力を入れるため、情報を流してくれることがある。その情報をもとに捜査が進むこともあるが、こちらがもたもたしていると、事件に絡む武器をかすめ取られたり、重要人物を逮捕できず彼女らの手によって葬られることもある。金銭や捜査情報の漏洩などは行っていないが、徳重のように知らないうちにGPSを仕込まれたり、俺の動きもなんらかの方法で知っているようだが、追及はしていない。 「中学卒業目前で、初めてスリに失敗してさ。その相手が中国系マフィアだったもんだから、五臓六腑バラバラにして、売り飛ばされるとこだったんだよね」  子ども相手にそこまでするか? 眉間に皺を寄せる。 「ボコボコにされてトランクに詰められても、泣きも喚きもしない俺を、鄭社長が面白いっていったんだ。命が欲しければ手伝え」  血まみれのガキにそんなこという人、いるんだって驚いた。大人でもガキでも、貧乏でも大金持ちでも、この人は平等なんだろうなって思ってしまった。  用意された高校で真面目に勉強して、ビジネス用の中国語を覚えてお手伝いに明け暮れた。用意された住居も悪くなかったし、それなりの対価をくれた。 「…なんの仕事?」  躊躇うようにまた間が空いたが、まぁ今は別のヤツに引き継いでるからいいかと呟いた。 「密入国。一時的に日本に集めて、偽造パスポートを作る間の世話とか、書類集めとか、な」  両手を耳に当てて、溜息をついた。  ま、聞かなかったことにしてくれと、徳重は笑う。 「高校卒業するころに、鄭社長は別の事業を始めるって言いだした。どうするって聞かれて、別れた」  ことあるごとに、鄭社長が徳重をスカウトしたがるのは、以前にも一緒に仕事をしてたからか、と理解した。  それからどうしたと、続きを聞きたかったが、 「オマエは? 兄弟いんの?」と切り返されてしまった。 「……眠い」  口を覆うように肘をついて訴える。瞼が上がらない。 「ああ、そうだな」と、徳重は立ち上がって流しの皿を洗い始めた。空いたコップを持って流しに置く。徳重の隣に立って、徳重の手元を眺めながら言った。 「兄が一人いる」  そっかと呟き、「先、寝てていいぞ」と続けられた。肩に寄りかかると、右手を動かさないようにしながら、皿洗いを続ける。  瞼に張り付く歪んだ笑顔。20年経っても忘れることはない。

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