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第14話 恋人

   *  いつの間に寝ていた。玄関の扉が開く音がした。 「ちょー、何フラグ? なんで戸閉めてるわけ?」  エロ兄さんの声だ。「シゲさーん、上がるよ」と聞こえてくる。横を見ると徳重が熟睡している。  腰のあたりだけに掛けていたタオルケットを引っ張って、爪先から全身隠れるように掛け直す。肩を叩いて起こそうとするが、マヌケ面のまま、徳重はピクリともしない。 「なんか寒くない? 夜逃げでもしたかと……」  部屋の入口まで来たエロ兄さんと目があった。つい2、3年前まで高校野球でもやっていましたというような、ニキビが消えない健康そうな若者だ。入口で固まったままの、青年の鼻からツーと血が垂れる。  殴り続けていた肩先からようやく「んあ」と声が聞こえた。 「シゲさんずるいよどこの店の子? 俺も呼んでよ」  ヤバい目付きで、エロ兄さんが一歩踏み出す。宙に浮いた手がヤバい。獣の徳重より危機感を感じて、足先をひっこめて身体を丸めるようにした。  視界を遮るように目の前を、徳重の背中が塞ぐ。 「店じゃない。これは俺の恋人」 「……」 「ひぇーーーーうっそーーーぉおん」  エロ兄さんの悲鳴に余計驚いてしまった。徳重が立ち上がってラリアットの勢いで肩を掴むと、廊下へ消える。 「えーまって。もうちょっと見せて」 「ふざけんな、俺のつってるのにオカズにする気だろ」  声が遠のいて消えた。  ……恋人……なの、か?  俯くと、唇が震えた。混乱、する。  暫くして玄関でまた音がした。座ってみていると、徳重が入ってきて頷き、窓のほうへ駆け寄る。 「早く行け! バカ」  窓を開けて怒鳴ると、雨戸を閉め始めた。滅多に使わないだろう雨戸は嫌な音を立てて、重たそうに動いた。ニワトリが騒ぐ。  隙間からうっすらと光が差し込んでくるが、真っ暗に近い。徳重は流しで手を洗って、布団の端っこを掴むと台所の方へ少し寄せた。暗闇から表情が見える位置まで移動してきた。  四つん這いで近寄ってきて、まじまじと見つめられた。 「俺ら、恋人同士だよな?」  頭が働かない。投げられた言葉が理解できない。ぼんやりと見ていると、徳重がさらに続ける。 「俺は、オマエが恋しくて、毎日のようにオマエのこと考えてる」  太腿がじんわりと温かくなり、見るとタオルケットの上から、徳重の手が撫でていた。 「無事でいるかな…、無茶してないかな、とか、考えたり」  目線をあげると、言葉が途切れる。 「声とか、乳首の色とか足とか思い出しちゃうともう、そっちのこととか考えちゃうけど……、あの、最初とかサイアクだったかもしんねぇけど…」  徳重は額を両手で叩き、前髪をかきむしるようにする。そんな乱暴にしたら抜けてしまいそうで、そっと手を添えると、電気でも走ったようにピクリと動いて掴まれた。片手で髪を整えて深呼吸して続ける。 「初めて、オマエの寝顔見たとき、なんか守ってやりたいなって思った」  手首を掴んでいる徳重の手が、少し震えていた。 「好きになってた」  思い切ったように、徳重が口にする。  目で射られると、瞳の奥が熱くなる。 「オマエ、俺に魔法かけただろ?」  こうして、手に触れて徳重の顔を眺めて眠りについていた。それを魔法というなら……。  少し笑って俯いた。触れていた手首が動いて、指に指が絡んだ。 「なんでそんな顔すんだよ」  額がぶつかる。 「俺はオマエがすげー好き」  囁くような、でもしっかりとした低い声が聞こえた。 「オマエは?」  頬をゆっくりと擦られた。 「ごみ入ってねぇから、こっち見ろよ」  そう言われて、目線を上げる。どうして、涙が流れるのかわからない。  どうして、絡めた指に力を込めているのかわからない。  どうして、こんなに胸が痛いのかわからない。竜巻のように、身体の底から大きな風が吹き上げてきて、胸がつぶれそうだ。 「オマエは?」  喉まで出かかった言葉を飲み込んで、首を振った。 「なんだよ、言えよ」  言えない。  言ってしまえばもう、止められないと分かっているから。手を払って顔を背けようとするが、横から強引に引き寄せられた。甚平の袖に涙が浸み込んでいく。首筋にかかる息は、憤りを表している。  徳重は腕に抱いたまま、暫く黙っていた。  抱きしめる腕の力が強くて、骨が鳴りそうだった。怒りを抑えているのだろう。顔を上げると険しい顔を背けた。昨日だったら言えたかもしれないのに。嬉しくて憎まれ口を返していただろうに。  頬を寄せて、耳朶に唇を寄せる。「ごめん」の代わりのキスをすると、驚いたようにこちらを向いた。  唇にそっと触れると、押さえられない気持ちが涙になって零れた。好きだけど、好きだからもう、巻き込みたくないんだ。 「…ンだよ、それ」  怒気のある声を無理やり抑え込めるような、小さな声だった。唇が震えて、キスを続けられなかった。怖いからじゃない。自分が悪いと分かっているからだ。  それでも、この時間を終わらせたくない。涙が流れると、頬をざらりとした感覚が横切る。徳重が舐めたのだ。視線を上げると、黒い瞳が見つめ返してきた。 「これで終わり、のつもりじゃないよな」  どんな顔をしたらいいのかわからず、見つめたまま固まる。ほんの少し視線を逸らすだけで涙が零れた。眉間に皺を寄せながら、徳重が目を固く閉じて、何度も頷いた。 「わかった……わかったから、泣くな」  また引き寄せられて、胸元に顔を伏せた。

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