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第22話 取引
「取り押さえろ!」
昇の焦ったような怒号に、舞台から数人の足音が聞こえた。目を開けると4~5人の影が徳重に向かっていく。一人が舞台下に置いてあったライトをつける。
全身、血だらけの徳重がみえた。足を引きずっているのか、血濡れた右足を斜めに投げ出し、鉄パイプのようなものを杖にするように立っていた。雄叫びをあげながら二人の男が殴りかかろうとしたが、大きく振るわれた鉄パイプで薙ぎ払われた。徳重が勢いで回転し、引き足で蹴りだし、半回転する鉄パイプで尻もちをついた男の首と、もう一人の脛を叩いた。
「おい! 間男」
耳元で怒鳴られた。
「こいつの乳首切り落とされたくなかったら、抵抗するな!」
胸元にひやりとしたナイフ感触がある。徳重が振り上げた鉄パイプを落とした。両手首をロープのようなもので縛られている。ゆっくり両手を下ろすが、周りに集まったものはなかなか動こうとはしない。先ほどまでいたはずの体育館の隅に目をやると、徳重の足元に転がっているような人らしき物体が二つ見える。リンチされかけ、返り討ちにしたのだろうか。
「……おい、言う通りにしてんだがら、ナイフ置けや」
静かな声がした。改めて徳重をみると、駅で見たときよりもボロボロだった。至るところに血のシミがある。腕や肩、持ち上げた顔も、頭から流れた血でほとんど表情も見えなかった。
昇から指図があったのか、男たちがおっかなびっくり両サイドから徳重を抑え込む。正座する形で座った徳重の肩に圧し掛かる。
視界が歪む。思わず目を反らした。こうならないために、別れるべきだった。もっと早く、別れるべきだった。涙が零れそうになるのを、ぐっと堪えた。
「ザッシー、大丈夫だよ。すぐ、助けるから………」
声に出さずともわかるとでもいうように、徳重の声が聞こえた。
そんな無残な姿で何を言っている……。
「フ……」
息を細かく吐くような笑い声にハッとして、顔を上げた。耳元に昇が口を近づけてきた。
「あだ名で呼んでる。やくざ者と取引してるのかと思ったら、お友達かな?」
囁くような声だった。
「……やめてくれ。俺を好きにしていいから、あいつはもう解放してくれ」
首を振りながら訴える。
「お友達とはイチャつかないか。友達より、この世で唯一のものがあったな」
「違う……」
「コラぁ! コソコソ話すんな。俺と交渉しろ!」
徳重が怒鳴ると、脇にいた男が背中を蹴り、徳重の口から血が溢れた。
……もう、嫌だ。頭を振り上げて頭突きした。感触はあったが、避けられた。見上げると昇の顎に当たったらしく、ぱっくりと割れた皮膚から血が流れた。
「貴様……!」
よろけながら振り返った昇が、ナイフを振り上げる。
『よさんか! ワシの獲物じゃけぇ』
ノートパソコンからの声で動きが止まった。慌てたように課長に腕を掴まれ、後ろに引いて距離をとる。昇は苦々しげに見下ろすと、ハンカチで顎を抑える。向きを変えて前に立った。
「徳重さんでしたっけ。交渉ならもちろんしますよ」
「気持ち悪いな。自己紹介もしてないのに……」
下を向いたままの徳重の声は小さかった。
「あなたのことは存じてますよ。組のフロント企業でマネーロンダリングや土地転がしで、腕を買われていたそうじゃないですか。金貸し業でかなりの人を泣かせていたとか。親近感が湧きますね」
反応はない。
「窃盗も得意だって話ですね。若頭に言われれば、警視庁から証拠品の銃まで盗み出せるとは恐れ入ります」
徳重が、盗んだ? それはどこからの情報だ? 反論がないのは身体の痛みのせいなのだろうか。押さえつけられている肩が、大きく上下している。
「先ほどのお話、お聞きですよね。先生はあの日のDVDをご所望です」
返事を待つように間が空いた。
「ある有力筋からの情報ですと、証拠品は所轄の方で保管されているそうです」
意味ありげにこちらを振り返る昇の目線は、後ろの課長に刺さった。
課長は知らない。ロット番号を立てる前に、証拠隠滅してしまったDVDのことを。探すだけ無駄……。
「それを……持ってきたら、解放してくれるのか?」
わずかに首を上げて徳重が言う。
そんなものはない。伝えるべきか。否、知らなければ入手することもできず、戻ることができない。その方が安全だろうか……。
『残念ながら今夜のプランは決まっとる。サディスティックな米軍兵を数人呼んで、そいつが食われるのを見ながら美酒を楽しむ』
儂は手を出すより、見る方が好きじゃけぇと続いた。
「時間までに戻ってこられたら、観客席に座らせてあげますよ」
笑いながら昇が言うと、徳重が俯いた。
「もう一つ。提案があります」
一歩踏み出して昇が言った。
「徳重さんの生家ですか、あれ。世田谷の松陰神社前、なかなかの物件ですよね」
育ての親の家のことだろうか。どこまで調べているのだろう。想像以上に下調べをしていることに、叶わないと思った。
「もとは料亭だったと伺っています。老夫婦二人で住むには広すぎるかと思いましてね。先生の妾宅にどうかと思うのですが」
後ろに手を組んで昇が回答を待つ。見聞に違わず悪魔のようだと思った。どこからそんな発想が生まれるのか。ノートパソコンから、『よいのぅ』と笑い声が聞こえてきた。
『そうしたら、役者をおぬし一人に替えてやってもよいぞ』
バカバカしい。もう、答えなくていい。
「両方、持ってくるから、それまで、手つけるな」
力を振り絞るように徳重が言う。
『フッハハハ。日没までじゃ。楽しみにしとるぞ』
笑い声を残して、通話が終了したことを伝える画面に変わった。
片頬を釣り上げた例の顔で昇が振り返る。勝負は着いたと、表情で読み取れる。腕を軽く振ると、徳重の両脇を抑えていた男たちが引き摺り始めた。
バンっと床を叩いて、徳重が顔を上げた。
「ザッシー! 戻ってくるから、待ってろ」
戻らなくていい。戻れない。どちらも徳重には手に入れることはできないものだ。
俺のことは気にしなくていい。
ただ無事でいてくれればいい。
「ザッシー!」
わずかに首を振るともう一度、怒鳴るように声を上げた。
もう、いい。たくさんの、伝えきれない言葉を飲み込んだままだけれど、最後の夜を過ごせた。それだけで、十分だ。
今まで、ありがとう。
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