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第27話 家探し

   * 「わあ、東京タワーですぅ」  国道1号線に入ってから、窓にランドマークが見える度に萌絵が歓声を上げる。  兄の情報にはあっさり行き着いた萌絵が、黒幕の正体にはなかなか辿り着かない。というより、車に乗ってからは、ノートパソコンの画面よりも、窓の外を眺めている時間が長い。 『黒幕の正体によっては、あたしらは手助けできない』  先ほどの朝倉の言葉に、萌絵がブレーキをかけてくれているのだろうか。そう都合よく考えてしまうのは、先ほどからあいつの話ばかりしてくるからだ。 「所轄の警官だとさ、寮とか、上官でも近所に住むイメージがあるでしょ。代々木上原ってどうなんだろうって思ってたけどね。あっちは年に2、3回しか帰らないんだよ」 「じゃ、普段は今向かってる部屋の方で過ごすのか?」  萌絵が首を振る。 「みのりんは身なりを気にしないタイプだから、ほとんど桜田門から動かないんだよ」  あの容姿なのだし、ちゃんとした格好をしていれば、道を歩いているだけでも振り向かれる可能性もあるだろうに、というようなことを言っている。うちに来てもTシャツ一枚でふらついてるから、気にしないタイプなのだろうと察しはつく。 「仕事が忙しくて帰れないんじゃないのか?」 「仮眠室が好きって言ってたよ」  萌絵が首を振った。 「電車がなくなったころ、たまに歩いて帰るのが今向かっているお家でね。こっちに帰るとね、買い物にも散歩にも出かけないの。しげしげと違ってインドアだよねー」  しげしげ? 指を顎に当てると萌絵が頷く。ずっと寝てるのか、テレビでもみてるのか――ホントに出かけないのーと萌絵が続ける。  押し入れで見つけた古い本を思い出して、寝食を忘れて読書している姿を思い浮かべた。5~6冊の文庫本、暇を見越して俺のうちに潜入していたのだろうか。あいつがいなくなってから見つけた本を、北の部屋の勉強机の上に置いた。これを取りに来るんじゃないかと思うとわくわくした。  手放しではない。なぜ、潜入していたのかは気になるところだ。  単純な理由なら「筒美会の生き残り」。トンズラした社長は組織の内情は知らず、用意された椅子に座っていただけの男で、金庫番として働いていた俺の方が、叩くべき存在だ。だが、鄭社長に身ぐるみ剝がされて都内から出ている。  若頭だった片桐――キリさんと、一番の信頼関係があった。園田組と戦争を始める、狼煙替わりに園田が警視庁から証拠品の拳銃数丁を盗んだ……世の中的にはそうなっているはずなのに、さっき、ザッシーの兄は俺が盗んだと言っていた。  どこかで、何かが捩じれている。  ザッシーも俺が隠し持っていると踏んで、うちに潜入していたんだろう。或いは俺が、その銃のことで、誰かと繋ぎをとると思っていたのだろうか。誰……。  不意に車が止まって、運転席の朝倉が振り返った。顎で指示されて車を降り、陽の当たらない路地を進むと、先を行っていた萌絵が引き返して俺の後ろへ着く。都会の一等地に、昭和初期に置き去りにされた一角が見えてきた。庭から飛び出た大きな木は、柳でもないのに垂れ下がっていて幽霊が出てきてもおかしくない。見るからに古い木造アパートは、全体を蔦に絡めとられている。  草と埃に覆われた窓を覗くと、老夫婦が並んでTVを見ていた。…棲めるのか、こんなオンボロアパート。  錆びついたアパートの階段を指さすと、萌絵が猫のようにそっと進んだ。松葉杖で音を立てないように進むと、萌絵がポシェットから何やら出して、鍵穴をいじりそっとドアを開けた。合鍵を持っているわけはないから、秘密道具については見なかったことにしよう。  部屋を覗き込むと、廊下の先に本に埋め尽くされた部屋があった。ザッシーの部屋だと思った。ようやく靴を脱ぎ終わったときに、朝倉にどつかれた。何もなかったように、後ろ手で玄関を閉め、備え付けの下駄箱を開け、空っぽだと首を竦める。俺も何もなかったように、廊下を進んだ。  入ってすぐの廊下によれたスーツが掛かっていた。向かいに風呂場があり、キッチンスペースがある。水道の横にインスタントコーヒーの瓶と薬缶があり、流しの下の棚の中には洗顔セットと無数の白タオルと下着が積んであった。洗濯不要の生活みたいだ。 「本の海ですぅ」  部屋に入った萌絵が、スカートの裾を摘まみながら、人一人が歩けるスペースを進んでいく。想像のままというより、上を行くほど本で満たされていた。古本屋のような独特の紙の匂いがする。西向きの窓は、カーテンはないが窓の外の蔦で、陽射しも遮られている。それでも夏の日差しを壁越しに感じ、湿気のある部屋を進むとじんわり汗が噴き出してきた。 「このスペースで眠れますかぁ?」  ベッドまで辿り着いた萌絵が振り返る。床に置かれた本の山同様に、ベッドの上にも紙の束が、今にも崩れそうなほどの山を作っている。ノートパソコンがあるスペースだけ、かろうじて空間がある。固定電話はない。二部屋の仕切りとなる襖は取り外され、畳続きの部屋には、本の山が迷路が続いていた。ソファのある方の部屋へ進むが、松葉杖で本の迷路を進むのはなかなか困難だった。肘掛のところにマグカップが置かれている。 「寧々たん!」  萌絵が加勢を求めて振り返る。 「靴脱ぐの、めんどくさい。早く探せよ」  下駄箱に肘をついて朝倉が答える。は? 俺の家、土足で入ってきてなかった?  頬を膨らませながら、萌絵が本の迷路を進んで俺より先にソファにたどり着く。丸まっていた毛布を引っ張り上げるが、見たところ何もないようだ。毛布を背もたれにかけて、あちこちを叩いてみるが違和感はないらしく、俺の方を向いて首を振った。  ソファに向かうのをあきらめて、入口横の押し入れを開けてみた。クリーニングから返ってきたらしいスーツとYシャツが吊るされている。萌絵が急いで寄ってきた。 「あ、靴箱があるよ。ジョギングシューズと、サッカーシューズ。えー、サッカー? フットサルとかするのかな?」  箱をひとつずつ開けながら萌絵が言う。箱には買ってきたときのままのように、つま先とかかとを向かい合わせ、白い紙でS字型に覆われていた。  まぁ、同僚に誘われれば、それくらいしそうなものだが、 「なら、それ用の服があってもいいもんだがな」  Tシャツや部屋着になりそうなラフな服がない。日用品がない。一番下にあった靴箱を開いて萌絵が言う。 「バッシュ。……!」  薄い紙をめくって萌絵が呟く。S字になった片方は紙の下、同じように靴の形を模しているが、透けて見える油紙は靴の形には見えなかった。萌絵は見なかったふりでナイキの蓋を閉じようとしたが、俺の左手がそれを防いでいた。 「う、うーん。あ、IP電話の可能性もあるからパソコン開いてみるね」  萌絵が離れるが、構わず紙をめくって油紙を開いてみた。  銃が出てきた。  手に取ってみる。大きさからいって38口径だ。 「S&W。オマエの家に潜入するとき、売った」  いつの間にか接近していた朝倉が、襖の柱にもたれながら、低い声で言った。大きさからいって38口径だ。

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