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第28話 泡沫
朝倉の顔を黙って見返した。
「オマエ、人魚姫って童話、知ってるか?」
「……へ?」
突然話がずれたので、間の抜けた声が出た。
確か、小さい子に絵本を読んでやった記憶はある。海で難破した王子を人魚姫が助けて、王子を忘れられず、魔女に頼んで声と引き換えに人間にしてもらうんだっけ。でも、王子は別の女がいて……?
「人魚姫が王子様を助けたんだけどね、別の女性に助けられたと勘違いしてね。王子様はそっちと結婚することになるのー。魔女に声奪われなければ、ちゃんと言えたのにねぇ。王子様と結婚できなければ、海の泡になって消えちゃうんだよ。切ないねぇ。うう、入れない」
萌絵がベッドのところで、ノートパソコンをいじりながら言う。最後の呻きは、ログインできないという意味だろう。仕事用だとしたら、そう簡単にログインできるわけない。
「人魚姫の姉たちは、命より大切な髪を切って、魔女にナイフを作ってもらう。これで王子を刺し、その返り血で人魚に戻れると」
朝倉が引継ぎながら、銃を奪うと慣れた手つきでシリンダーを回した。弾数を確認しているのかと思い、覗こうとすると手で覆い隠された。黙ってシリンダーを戻すと、自分の背中に差し込んだ。
「妹ではないが、そんな心境だったからな…」
そんな心境?
「え? 俺、王子様?」
「馬鹿」
言葉より足が速かった。膝を蹴られて、松葉杖ごとコケた。あ、こいつやっぱり土足だ。
「すまん、つい」といいながら手を差し出されたが、松葉杖にしがみついて、何とか立ち上がる。朝倉は空っぽの油紙を軽く丸めて靴箱に戻すと、上に2つの靴箱を載せ、押し入れの奥に押しやった。今日回収するつもりだったのか、朝倉の背中には当然のようにホルダーがあり、先ほどの銃が収まっていた。
「人間の世界を見に行くこと、嵐の夜に浮上すること、人間になりたいといった時……どこで止めたらよかったのだろう?」
靴箱を見つめながら朝倉がいう。背中を向けたままなので、表情は見えない。
「ん? わからん。あいつは筒美会の絶滅が望みだったのか?」
朝倉が振り返って笑う。
「オマエはなにも尋ねられなかったのか?」
「……誰かから、何か預かったものはないかって」
座敷童だと名乗った。名乗りたくない理由があるのだろうと感じた。警察か、或いはこいつらからか、何らかの捜査をしているのだろうとは思っていたが、俺はなにも知らない。いや、知らなかった。ザッシーの様子から、例のなくなった銃を探していたことを後で理解したわけだが……。
つまり、ザッシーは俺がそれを隠し持っているか、場所を知っていると思っていた。そしてそれを誰に繋ぐ、はずだと……。誰……ではなく……キリさんに。片桐が、来ると思って潜伏していた?
いやいや? 筒美会組長の家が火事で全焼して、見つかった遺体は8体だ。あの日、そこに集まっていた幹部の数と一致しているのに?
「オマエ、ホントになんも考えない奴なんだな」
いつの間にか振り返っていた朝倉が、飽きれたように言う。
「直感だけで行動するところは、あいつと似てる。全部片付いてから整理するか、全て忘れるかの違いか」
全て忘れるわけじゃない、と言い返したいが、口を尖らせるしかできなかった。
「は、8人って幹部全員じゃない可能性があるのか?」
そこからか? というように視線がため息で流される。
「みのりんの相棒。みのりんが拉致されたって本部に連絡してから、行方不明なんだよ」
パソコンを諦めたのか、いつの間にか萌絵が後ろに戻ってきていた。
「そういうことか。滅多に集まることのない幹部が揃った日に火事……」
「公安がガサに入るまさに直前にだ」
内部に、全滅を図った奴がいる――。
生き延びて、警視庁から紛失した証拠品の銃で、取引を企んだ。誰と――? 誰が……。
『片桐の……』
不意に、先ほどの体育館で聞いた声を思い出し、背筋が凍った。
ようやく、朝倉の『そんな心境』がわかって、拳を握った。松葉杖のグリップがきしむ。
片桐が生きているなら、俺と接触する可能性がある。片桐を殺すためにうちに来た? 復讐というより、凌辱された事実を抹消するためかな?
傷ついた身体で、息を潜めて機会を待っていたのだろうか。
「絶望の最中の奴に銃なんか渡して、気が気じゃなかったろう」
視線をそらしたままの朝倉は、表情を変えなかった。苛立って余計な一言を添える。
「人魚姫の姉さんたちは、ナイフなんか渡しちまって、自殺するかもって考えなかったのかな?」
ポーカーフェイスの朝倉から何も読み取れなかった。朝倉を責めても仕方ないのに、距離を詰めようとして、後ろから萌絵に引っ張られた。困った顔でわずかに首を振っている。
細く息を吐いて、肺がいっぱいになるまで息を吸った。
「…それどころじゃないな。電話探そう」
杖をついて向きを変えると、萌絵が誘導するように手を引いた。
混乱している。片桐――キリさんとは腹を割っていろいろ話した仲だ。お互いを知っているつもりだった。
昔、恋人を亡くしてから十年以上、人に触れたこともないという彼の日常を目の当たりにしてきた。オンナを扱わなかった。クスリや密輸品のほかに、裏ビデオの販路も任されていたのに、商品にも関心がなかった。インポで得したなとと揶揄されていた。
人間嫌いなのだと理解していた。触ることも、情について考えることもない冷徹な人だった。なのに、何故?
萌絵が一度広げた毛布をはためかせ、ソファの隙間にも手を入れて確認する。それに倣って自分でも探ってみる。
そもそも、そんな状態で、あいつはどうして俺なんかを受け入れたんだろう? 片桐が現れるまで、銃を握って待っていたのだろうか。でも、あいつは片桐の行方や接触法を聞くのではなく、預かったものはないかと聞いた。……俺の知らないうちにカタがついて、裏山に骨が埋もれているかもしれない。春先なら熊が出る。山の中なら、猟銃と拳銃の音の違いなど誰も気にしない。返り血――、人の世界には居られなくなって、彼女らの闇組織に汲みすることを、朝倉は望んだのだろうか?
「……ん?」
腕を置くアームの部分に違和感があった。力を入れると、カクっと倒れた。フレームと座面の間に指を入れて動かすと、何かに触れた。人差し指と中指で挟んで引き出す。
「にゃにゃーん! スマホ出たぁ!」
萌絵の歓声に、詰めていた息を吐いた。
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