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第29話 敵か味方か
弄り回して電源を入れると、ロック画面もなくホーム画面になった。古いタイプのものだ。電話アイコンをタップすると、「母」との通話履歴が残っていた。
「……さてどうするか?」
「悩むな」
朝倉はスマホを奪い取るとすぐ、画面を即座にタップした。コール音が聞こえる。
『はい』
スピーカーから低い女の声が聞こえた。
「突然のご連絡申し訳ございません。私、ご子息とお付き合いさせて頂いている朝倉という者ですが…」
滑らかな嘘に萌絵が大袈裟に驚いた顔を作り、俺は先を越されたことと、嘘でもショックで膝から落ちそうになった。だが、電話の相手の方が上手だった。
『ハ……、嘘だな』
ツーツーツー。短い笑いと短いセリフ後、スピーカーから切電の空しい音が続いた。朝倉が無言で手の上のスマホを睨んでいた。普段なら突破できる戦略だったのだろう、静かな怒りの炎を感じた。握り潰しかねない。慌ててスマホを奪って、コールしなおす。無言のままだが、電話が繋がった。
「あ、えっと、すんません。緊急事態なので、話を聞いてほしいんですが……」
『今度は誰だ?』
苛立ちを含んだ声だ。強い女性だと聞いていたが、声を相手にしただけで竦んでしまいそうだ。
「えっと、徳重五郎といいます」
『どういう関係だ?』
「……告白した、けど、恋人だとは認めてもらえませんでした」
ツーンと唐突な無音が耳を圧迫した。世界中が沈黙したような間ができた。目の前にいる二人の気配も、外で鳴いていた蝉さえも突然氷ついたように、静かになった。
時間が止まったか? 大袈裟に息を吸い込んでみると、肌に絡んでいた湿った空気が汗となってドッと流れた。恥も外聞もないセリフを吐いてしまってから、慌てて彼女たちから背を向けた。
「でも、俺はあいつの味方でいたい。誰よりも、力になってやりたい」
電話の向こうから反応がない。遮断されるまえに急いで切り出した。
「……兄だという人に拉致された。取引条件を二つ与えられたが、俺にはどっちも手に入れることができない。だから、助けてほしい」
目を閉じて反応を待っていたが、何も返ってこなかったので、瞼を開ける。窓を覆っていた樹々の隙間から、黄色い陽射しが差し込んでいるのが、カーテン越しにわかる。時間は刻々と過ぎていることに、また汗が噴き出る。返事があるまでのわずか1、2秒がひどく長く感じた。
『20分以内に靖国通りに来い。市ヶ谷駅付近にベントレーのSUVを乗り捨てておくから乗り換えろ』
電話が切れた。すでに歩き出していた朝倉が「急げ、置いてくぞ」と大股で出ていく。スマホをもとに戻して、慌てて付いていく。松葉杖がもどかしい。萌絵に先を越されるが、玄関先で朝倉が何か指示をする。ニャッと鳴いて敬礼し、こちらを振り返る。
「しげぴょん、頑張ってね! もえたん、応援するっちゃ」
両手を握りしめてファイトポーズを繰り返し、走り去った。別行動になるようだ。施錠しないまま離れることに抵抗があったが、ドアをそっと閉めて、錆びついた階段を下りた。
*
法政大学を越えたあたりに宣告どおりのSUVがあった。乗り換えると、カーナビの指示通りに朝倉がハンドルを握った。子供の下校時間に当たるのか、交通整備の黄色い旗が左右で振られていて、ノロノロ運転の波に嵌った。
「防衛省関係かもな……」
両手をハンドルの天辺において、朝倉が呟く。場所的に頷ける。
「今の防衛大臣が岡山出身なんだよ。子供が7人もいるのに、血のつながりがないって噂だ」
「どういうことだ?」
「奥さんが、他人にヤられるのを見るのが好きな変態野郎だ。昔からの趣味なんだろう」
吐き気がしてくるが、符号する。さらにその役職なら米軍兵と趣味で繋がってもおかしくないかもしれない。
「だとすると……」
朝倉が言葉を飲み込む。向かう先に防衛省がある。母親が関連の仕事をしているとしたら、事情を説明したところで、息子を守るために動いてくれる可能性は低いかもしれない。組織のトップには逆らえない。ズクっと痛み出した腹に手を添える。
腹を痛めて生んだ子を守るために、二人で海外に逃亡した。その子を傷つける兄は、大恋愛した男の息子で、自分は母親という立場だ。母親としてどちらかを選ぶ、なんてことがあるのだろうか。選べない、捨てられないからこそ、兄をおいて出て行った。だとしたら……。そう思うと座っていられないほど、腹が痛くなった。
カーナビは、守衛が何人も立っているゲートを素通りさせ、細い路地を迷ったように右折左折を指示し、地下深い駐車場へと導いた。人影が見当たらないせいか、朝倉はゆっくりと下層階まで車を進めた。暗闇を奥まで進むと人影が二つあった。
朝倉が車を止める。ローライトがこちらに寄って来るヒールを照らした。
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