31 / 50
第31話 奪還作戦
エレベータを降りてまた、長く曲がりくねった廊下を渡る。部屋の扉もないので、廊下というより建物と建物を繋ぐ通路かもしれない。ある扉を開けると、倉庫のような雑多な大部屋があった。無数の段ボールが積まれ、薄暗い中で人がうろついたり、立ち話をしている様子が見える。
突っ切った先に小さな部屋があり、男が黙って扉を開いた。防音が効いているだろう分厚い扉だ。中へ入ると、警察の取り調べ室のような古い机とパイプ椅子が、人数分置いてあるだけだった。
「管理官、お電話です」
入りかけた時、奥からの呼びかけに秀水が立ち止まる。電話の子機を持って走り寄ってきた男は、敬礼して走り去った。
『ここはどこ?』『お仕事は?』と、聞いちゃいけない疑問が、頭の中を駆け巡る。『一私人として』、そういうからには、やはりアンタッチャブルなことは抑えておくしかない。
秀水が電話に出ると、中に入ろうとした朝倉を手で止めた。
「……うん。廃校なのか、都合がいいな。それで? ああ、頼む」
短いやり取りの後、電話を切るなり朝倉に小声で話しかける。廃校、もう現地確認ができたのかと驚く。
「さっきの話、お見積りいただけます?」
「喜んで」
「ついでに、爆弾とか火薬とかもあればいいんだけど」
「火薬なら都合よく、近場で用意できますよ」
「ならば……」
元来た通路へと戻ってしまう彼女たちの声は、どんどん聞こえなくなってしまった。
すぐに秀水が振り返って、
「大橋、電話が通じるところへ案内してやって」
車椅子を押していた男が、朝倉のもとに走っていった。入れ違いに秀水がこちらにやってきた。重い扉のノブを両手で引っ張って閉めると、隣に椅子を引っ張ってきて座った。
「さて、二人きりになったので、細かい話を聞こうか」
*
連中に連れていかれた廃校の体育館でのこと。目視できた人数と、リモートで会話した大物らしき男のこと。要求されたこと。大まかな経緯を話そうとしたが、兄弟の話になると、細かく聞いてきたので、兄弟のやりとりについては、覚えているかぎり詳細に話した。
秀水は目線を合わせることもなく、頬杖をついて相槌を打つだけだったので、話しやすかった。ただ、俺は朝倉が言う通り、後にも先にも言葉で整理することなく、直感で動くタイプだし、なにより感情的にグラついているから、うまく説明できたとは思えない。一通り話し終わってから秀水が、こちらに顔を向けてきた。
「確認する。さっきの彼女の口ぶりだと、その大物らしき有力者の検討はついているのよね」
「岡山弁のド変態ってヒントだけですけど。裏ビデオやらそっち系のアテンドとか、どうも兄貴の前は、筒美会とつながってたっぽいんですよね」
「筒美会? 最近、幹部が全員死亡して殲滅したとかいう暴力団?」
そうか、親子だからといって、いくらなんでも自分が関わった事件 の話はしないか……。
「はい。派閥の分離・離脱を繰り返し、役職をしょっちゅう挿げ替えて親分さえもわからない、半グレみたいな体制で。警察も手を拱いていた……」
そこはいらない説明だったかとぼんやりする。
「あ? いや、でも……」
「なんだ?」
何かあの時引っ掛かったものをまた、微かに感じた。
「その……ま、俺はその暴力団のフロント企業で金庫番をしてたような奴なんですけど」
秀水が上体を少し離して殺気を送ってくるので、慌てて付け足す。
「ま、組員とはほぼ関係がなくて、金稼ぎに明け暮れてて。壊滅後は身ぐるみはがされて、今は地方で農民してるだけなんですけど」
「なんでうちの子は、農民に会いに行ったんだ?」
『会いたくなったから』と言いかけて躊躇う。ホントのところは俺にもわかってない。
秀水は頬杖をついて長く息を吐き出す。
「特に相談はなかったんだな?」
ああ、そういうことだ。会いたくなったからではなく、何かしらの違和感、そうだ、尾行されている感じだの、スタンガンだの、その正体を探るために俺に会いに来たのだろう。そうして兄の存在を思い至った。だから、俺をこれ以上巻き込まないために、恋人ではないと言ったんだ。
ああ、しまった。そうしてまた『引っ掛かり』を見失った。両手で口元を覆い、同じように深く息を吐き出した。
「集められた若者の話によると、その岡山弁のド変態の世話役として、筒美会の後釜となったのが兄の昇ってことらしいです」
ザッシーの動画を入手、或いは本人を貶めるために、昇を引き寄せたのだろうか? スタンガンの一件も、拉致する機会がなかったために、デビューしたてのアイドルだの別の獲物で場を凌いでいたのだろうか。
「うむ。悪趣味な上に暴力団との繋がりもあるとなると、心当たりは絞られるな。でも私の役職に影響を及ぼすほどの人物ではない」
とするとアンタッチャブルな疑問符がまた浮かんでくるが、耳を引っ張って振り払った。
「で、廃校には、その下品な遊興を敢行するための連中が集まっていると…」
首を振る。駅舎で見落としたのは刑事 だからだ。気配も築かなかった。あいつをしとめるのに最適だったのだ。
「あの場には、彼の上司がいました。口ぶりからすると娘が人質になっているようで、仕方なく奴らに加担していたようで…。
俺を捨てに行く若者を抱き込んで、娘と上司を会わせて離脱するよう図ってほしいと頼んだが、それがうまくいっているかはわからない」
すると秀水は白い顔を上げてこちらを睨め付ける。
「そのクソ上司のせいでうちの子が拉致された、そう聞こえたのだが。その親子の心配は必要か?」
あれ、そんな冷徹?
「……でも、あいつなら、危険を冒してもその人達の命を優先するだろうから、俺は助けたいと思った」
「では幸運を祈るしかないな」
「待ってくれ。な、なんか、アンタの口ぶりだと廃校にいる全員皆殺しするみたいな……」
「それしかないだろう?」
「ちょ……」
「待っている暇はない。取引に応じるつもりもない。だから約束の時間を待つ必要もないだろう?」
「!」
置いて行かれた!
血の気が引いて目の前が真っ暗になった。立ち上がった勢いで車椅子が転がり、壁にぶつかる。朝倉に耳打ちしてもう作戦は展開されていたのか。脇の下を冷たい汗が流れた。大股で歩き出すと右脚が前に出ず、転びそうになって机に手をついた。古びた机はきしんで床を滑る。
秀水が右腕を掴んで机に腰かけるように促した。
「落ち着け」
「落ち着いていられるか! 助けに行くって約束したんだ」
俺が行くんだ。喚く俺の胸を秀水が、トントンと叩く。
「約束って、オマエが勝手に宣言しただけで、待ってると言われたわけじゃないだろう?」
言葉のナイフが飛んでくる。秀水の手を払って、睨み返した。
「言わねぇよ。あいつは思ってても言わねぇよ。だから俺が、俺は言われなくてもわかってるって態度みせねぇといけねぇんだよ」
恋人だって認めなくても、俺を好きだって気持ちは切ないほどに溢れていた。
立場だの仕事だの捨てて、俺と一緒に居たいって、思う夜もあるんだろう。こんな事件がどうのこうのじゃなく、俺に会いたいから来たんだって、自惚れじゃなく、その気持ちも何%かはあるんだ、きっと。
俺を思って『もういい』って言ったとしても、俺はそう思ってないって、俺の生命より大切だって、見せてあげねぇと――。
ともだちにシェアしよう!