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第32話 覚悟

 込み上げる怒りを抑えて冷静に言ったつもりだが、喚き散らしたように、ゼイゼイと息が切れていた。トン、トンといつの間にかまた胸を叩かれていたことに気付き、リズムに合わせて呼吸することで、落ち着いてきた。 「試すようなことを言って、悪かった」  長く息を吐き出すと、秀水は肩に手を掛けたまま、まっすぐに見つめ返してきた。 「彼女には制圧に必要な武器を用意してもらっている。先行隊と合流してもらうために先に行ってもらった」 「喋ってるだけなんだから、俺らも急いだほうがいいんじゃないか?」  口にしてみるとやはり焦りを感じる。ソワソワと尻の座りが悪くなる。  早く助けに戻りたい。こうしている間にも、殴られたり蹴られたりしているのではないかと思うと、じっとしていられない。感情が高ぶって拳を握った。 「準備には時間がかかる」 「移動にも時間がかかるだろ?」  秀水がゆっくりと顔を下げて下から覗き込みながら、「つかみにくい男だな」とぼやく。ゆっくりと手を上げて、親指で俺の顎を上に弾いた。 「車より早いものがあるのを知らないのか?」  天井を見上げながら考える。  な、なんだ? 新幹線? 千葉だから成田エクスプレス?   秀水はアホを残して歩き出す。 「一般人二人の保護確保という仕事が増えた。作戦の手順はできるだけ少ないほうが、ミスがない」  そういって、体当たりするように重い扉を開ける。 「岩井。桜庭に電話」  すぐに子機が渡されるのが見えて、秀水が扉の向こうへ姿を消すと、先ほどの子機を持ってきた男が、顔をドアに挟んだまま睨みつけてきた。黙って睨み返していると、しかめっ面のまま入ってきた。 「防弾、防刃、プロテクター、なんでもあるが、何か必要か?」  俺はまだ作戦の中身も知らないのに、外にいた男も予想がつくのだろうか。 「…重たいのはいらない」 「フン。でもその白いワイシャツでは目立つな」  男は肩幅を図るように目を動かして、横から眺めて出ていくと、ポケットのたくさんついたカーキ色のジャケットを持って戻ってきた。 「多少の防刃効果はあるが、サバイバルナイフとかなら一発だ」といいながら着るのを手伝ってくれたので、素直にお礼を言うとまたフンっと鼻を鳴らして歩きだした。扉を開けると、慌てたように敬礼をし、秀水から子機を受け取って消えた。 「なんだ? 防弾チョッキじゃなくていいのか?」 「やっぱ、ドンパチになるのか?」  着せられた服を見下ろして、軍服のようだと気付くとため息が出た。秀水は目の前に立ったまま、目を閉じた。同じように項垂れているのかと思ったら、 「改めてお願いします。うちの子を助けてください」  秀水が深く頭を下げた。 「私には幸い動かせる兵隊がいる。米軍兵や自衛隊、機動隊よりも短期間でミニマルに実行に移せるし、世間に知られないよう動くことも可能だ」  脳の隅に追いやった疑問符をぱっくり割られたようで、口がぽかーんと開いた気がした。 「人様に迷惑をかけるような悪事を好む奴らを、生かしておく価値がない。私はそう思っている。司法に任せてしまうと、どんなクズでも、加害者の利益として守られてしまう。政治の蓑を被れば、さらに無駄に手厚く。何度断罪されようと、繰り返されてしまう」 「裏社会よりアンダーグラウンドな世界があるんだな」  ぼそりと呟くと、少し考えるようにしてから頷いた。 「そうだな。表裏の二面性を持って活動している。まさに今回のようなヤマは、我々の活動にちょうどいい」 「秘密警察、みたいな?」  秀水が首を振る。 「政治や国家は絡まない。こういう計画的な愚行は、反省する余地を与える必要もなく、その場で叩く必要がある。そういう理念のもとに集まってくれた有志の集まりだ」  警察が捕まえても法の下に見逃されてしまう奴らを退治する、仕置き人みたいなものだろうか。ならば、秀水の言う通り今回のヤマにちょうどいい。 「あいつ、知ってるの?」 「言えるわけない」  首を振って笑い、隣に腰かけ腕を組んだ。暫く黙り続けているので、動きが鈍くなっている右足をさすってみる。 「だから、コトが片付くまでは、部隊はあくまで後方支援で、朝倉さんに乗り込んでもらうのがいい、とも思ったんだが……。  昇が集めた若者、米軍兵、大臣。全員が揃っているところを叩く必要がある。若干、下衆なショーが始まってしまうかもしれない。その場に彼女を突入させるというのも、な」  そんな目に遭わせたくない、と言いたいが黙って目を瞑る。  人魚姫の姉だから、銃が欲しいと言ったあいつが、どんな被害を受けたか知っているのかもしれない。だが、知らないふりをするために前回、俺を呼んだのだろう。  さんざん、悪いことをしてきたが、殺人だけはしなかった。そんなのは自慢でもないが――覚悟が必要なようだ。 「俺が、機関銃かなんかしょっていけばなんとかなるだろ」 「扱わないって…」  山狩りの話で狩猟免許について軽く講義を受けたばかりだし、クレー射撃のシミュレーターに連れてってもらった。 「ゲーセンでやったことがあるから大丈夫だ。振り回されないように握ってればいいだけだろ」  秀水がため息をつく。 「ゲームじゃない。相手は人間だぞ」 「野山のイノシシやシカには気が引けるがな…」  人間だと、感じる部分があれば躊躇うかもしれない。けれど、あいつを汚す目的でそこにいる奴らを前にしたら、正常ではいられないだろう。昇は躊躇いもなく、あいつにナイフを向けていた。母親には悪いが、もはや人だとは思っていない。そしてPCの向こうで笑っていたジジイも、ぶち殺す前に殴りたいが。 「…それより、本人が動くかどうかだ」  克服したつもりでも、兄を前にして萎縮していた。悲鳴をあげれば喜ばれてしまう――なら、感情を殺す? 「ああ…。傷つく様子、畏怖、感情を悟られないように殻に籠ることでやり過ごしてきたんだ。また、そうして籠ってしまったら、救いの手を伸ばしても握らないかもしれない」  飢餓、怒り、何も感じないように、感情を殺せば我慢以上に時間をやり過ごせる。小さいころ自分もそうしてきたから、わかる。  もういい――。  母にもわかるのだ、もう未来を諦めてしまったことを。

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