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第33話 簑島秀水

「私はモンスターを作ってしまった」  秀水はぼんやりとした遠い視線を投げながら語った。 「あの子の初めての友達が死んだ時、私はあの子を守ることを優先した」  そこまで言ってから、知っているかと尋ねてきたので黙って頷いた。すると彼女は身体を抱きしめるように両手を組んで、俯いたまま続けた。 「赤ん坊のころは、病気なのかもしれないと思っていた。よく熱を出すし、怪我もするし、事故にも遭う。聞こえていないのかと思った。発達障害だという医者もいたし、言葉を発しないから人より成長が遅いのかもしれないとも思っていた」  朝聞いた話を、母親からも聞くことになるとは思わなかった。 「長男は後妻の私にも、行儀よく愛想がよく、すぐに懐いてくれていい子だった。弟想いで世話好きで……。私が手を伸ばす前にあの子の手をつなぐ。目の届かないところで、どんなことがあったと報告してくれて、私に心配させないように気を遣ってくれていた。いい子だと、思っていたんだ」  ああ、そうだろうなと思う。疑われないようにしなければ、近寄ることはできない。近寄れなければ傷つけることもできないのだから。いい子のふりしていれば、点数も稼げる。逆か。弟想いのお兄ちゃんを演じて、母親の関心を寄せる。代理ミュンヒハウゼン症候群のようなものが始まりだったのだろうか。 「あの子が小4、中学生に上がった兄とは通学が変わって、変化があった。はじめのうちは学校にいくのを嫌がっているようだったのに、突然変わった。家族でいるときや食事の時、それほどの差はなかったけれど、学校に向かうとき、少し足取りが軽くなったように感じて、友達が、初めてできたのかもしれないと……。  ま、私でも気付くのだから、長男も気付いてしまったのだろうね」  そうして、事件は起きた。 「そこで私は初めて理解した。理解したんだと、あの子もそこで気が付いて、初めて私をまっすぐ見たんだ」  弟の面倒を見る兄が、実は弟を憎み、痛めつけていた。監視し近寄る友達も同様に傷つけて、排除し、ついには殺人まで犯した。 「何故? 何を言われたの? 何も答えてはくれなかったけど、私と目線を合わせてくれた。やっと私の存在に気付いた。きっと、あの子にとって私は兄よりも遠かったのだろうと、そこで気づいたんだ。何年かかるかわからないが、この子を守るために生きよう。そう思って、そのまま二人で逃げたんだ」 「ああ、俺、あんたをかっこいいと評したら、あいつ微笑んでたよ」  秀水が意外そうに顔を上げる。頷いて返したがすぐに項垂れてしまう。 「事件か事故か、明らかにするべきだった。姿を消せば負の感情も消滅すると思っていた。だが、実際はその逆で、負の感情を解消するために他人を傷つけ、バレない事件を起こし、クリアするとまた標的を探す。  昇の経歴には怪我人や死人が絡んでいる。問い詰めたことで…元夫も事故に遭ったり、警備が怪我したりしたこともあった。手に負えない。証拠やアリバイ、詰めるだけのものはいつも揃わなかった」 「兄の方も、ずっと見てたのか?」 「あの子に気付かれないように、元夫と会っては話したよ。あそこで完全犯罪が成立しなければ、次々起こる長男の周りの死傷事件はなかったかもしれない」  なるほど。ザッシーは大恋愛だと思っていたが、問題解決のための逢瀬だったのだ。 「就職し日本を離れて、やり方が露骨になった。人を追い詰めて死ぬまでいびる。経済を隠れ蓑にしていたつもりかもしれないが、単純になった。追い詰められると思ったんだがな」 「高額の保釈金? それを出したのが今回のエロジジイか」 「保釈金というより裏金だろうな。東亜といえば日本人の買春天国だ。そういう繋がりがあったんだろうと思う。見失った」  ニュース記事もあてにならない。殺人犯を保釈できる国もあるのかと思っていたが、そうではないらしい。 「私の陰に気付いたからこそ、日本に戻ってきたのかもしれん。私がモンスターを作って育ててしまった。あの子を狙うのは私の気をひきたいからさ」  ケリをつけるよ。聞き取れないほど低い声が落ちた。  向けられた瞳の黒さに、唾を飲むこともできず硬直した。ズクリと鈍い痛みが脇腹を刺す。あいつが、この母の想いに至るなら、刺し違えても昇の足を掴み、自ら地獄へ身投げしてしまう気がする。 「痛むのか?」  耳鳴りの中で、微かな声に反応する。ゆっくり立ち上がって、両足の感覚を確認する。俺はまだ動ける。あいつを連れ出せることができるのは俺だけだ。  額を流れる汗を無視して、秀水を振り返る。 「いっこ、教えてほしいことがある」

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