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第41話 三千世界の烏を殺し

 渉はこれからどうするのだろう。  ゴシップレベルの記事なら、まだ今の仕事を続けることもできるだろうか。肉親に犯罪者が出た場合、警察官は続けられないのだろうか。  あの朝、刑事になった理由を聞いていたな。  …あれ? 兄貴の話で終わってしまったが、結局のところ、どうだったのだろう。兄貴を檻の中へ入れたかったのかな。罪を暴きたかったのかな。図らずもその手で葬った今、もう刑事は辞めるのかな?  肉親に犯罪者が――って。  そもそも、俺みたいな元反社が恋人とかってのも、あり得ないのにな。俺なんかと関係があるっていうか、知りあいだってバレたりしたら迷惑がかかるから、会いたいと思ってもむやみに行かなかったし、会いたくなるから連絡もしなかった。  そういうのを無視してあいつは、俺に会いに来た。だからつい、恋人だって伝えてしまったが、やっぱりあいつも引っ掛かってるよな…。  こんな当たり前のことに今更気付くから、朝倉は死ねと気軽に言うんだろうな。    あいつは今どうしているだろう?  思うだけで身体はスーっと空中を流れる。身体なのかな、手や足はよく見えない。渉の部屋だと認識すると、ドアを開ける前に視界が部屋に入っていた。ドアをすり抜けているという感覚もなく、渉の側へ行ける。ベッドサイドのほのかな灯りで、渉がベッドの上で膝を抱えているのが見えた。顔を突っ伏しているから、表情が見えない。 「もー。泣き虫で困った奴だな」  いつもの調子で肩に腕を回してみるが、反応がない。俺にも見えないくらいだから、やっぱり感じたりしないのだろうか。ピクリとも動かないけれど、息をしているのはわかる。ギブスを抱えている拳が白い。強く握ったまま堪えているのかと思うと痛々しくて、両腕で包んでやる。 「痛いのか? もう泣くなよ」  声は届かない。  消灯の見回りに看護師がきて、渉がベッドへ潜った。向かい合う形で横に滑りこむ。素直に眠るのかと思いきや、渉は目を見開いたまま、俺を通り越して宙を見ながら、また涙を流し始める。ただ静かに、涙は両目からとめどなく流れた。 「オイ、涙腺壊れたのかよー」  止めてやりたくて手を差し出すけれど、いつものようにはいかず、涙は後から後から零れ続ける。 「渉ぅ。泣くなよ」  額を近づけて、後れ毛を指に巻き付けてみるけれど、やっぱり感触がない。  ずっと、側に……。そう望んではいたものの、幽霊では意味がない。 「ゴ…ロ…」  かすれた声が聞こえて目線を戻す。呟くように、何度も呼ばれて、泣きたい気持ちになった。 「ゴ……」  渉が伸ばした左手を包んでみると、それを感じたかのように指が跳ねた。左手を広げて手首を掴むようにぎゅっと握る。恋愛ドラマなら、気付いてもらえるのにな。なんて、こんな時でも雑念いっぱいのちゃらんぽらんだから、恋愛ドラマだとしてもここはヤマでもないんだろう。 「……」  吐息のような笑い声が漏れた。 「いつも、こうして…くれた」  渉が囁くように言う。ん? 伝わった? いつも? 「ホントなら、不法侵入者だ。見えてた? 最初から座敷童だと、思ってたのか?」  ん? いつの話だ。不法侵入って言うと、押し入れで見つける前のこと? 俺の隣で寝ていたってことか。ぼんやり記憶にある、布団に乗せた顔と白い手ってやっぱりオマエか。 「寝ぼけてた…だけだよね」  ま、そうかも知れない。兄弟が泣きながら布団に潜りこんでくることがあったから、そうやって手を握ってやってただけだろうな。 「それでも…俺は、それが欲しかったんだと思う」  それ――温もり――今、与えることができないのは、やっぱマズいんだな。 「洗濯物や食事がなくなっても、座敷童へのお供えものだからとでも思ってたのか? お陰で俺ものんびり過ごせた。見えない者とも穏やかに過ごせる呑気さが、好きだったのかもな」  渉の頬を涙が伝う。思い出に浸って泣いているというよりも、やっぱり宙を見つめたまま、ただ呟いているようだ。手を握ってやるけど、やはり俺が見えているわけではないらしい。 つーかよ、そんなことで、俺に身体赦したのかよ。 「……欲望むき出しで、怖かったけど」  唇を噛んで、躊躇うように視線が泳ぐ。 「片桐に…されたことを……」  言葉を詰まらせて、渉が瞼を閉じた。片桐にされたことを、忘れ…ることはできないだろうけど、俺で、上書きする方が、オマエにとっては良かったのか。 「…他人に嘲笑される…玩具…として弄られるより……」  ああ、そんなこと、言わなくていいのに。止めたくて抱きしめてみるが、やはり空気よりも存在感がない。 「好きな人に……。好きな人に抱かれたら、怖いものではなくなるかなと」  渉の身体に巻き付いてみると、ふいに身体を仰向けにして正面から向かい合う。ん? 俺の目の位置もわからないだろうから偶然だろうけど、胸のあたりに手のひらを広げる。いつもなら感じるこそばゆさもない。 「記憶は消せないけど、オマエを思い返す夜の方が増えた。五郎…、オマエに会えて、オマエがいてくれて、それだけで俺は救われたんだ」  渉は今俺がいることに、気付いてないのだろうけれど、涙を流しながらじっと俺を見つめてくる。ダメだ、泣きそうだ。何もできないことが歯痒い。 「俺はオマエみたいに、見えない者に優しくできない。穏やかな気持ちにもさせてあげられない。泣くことしかできない。……慣らしておけって言ったけど、オマエがどこかで見てたとしても、俺はしたくない」  やめろよ、こんな時に思い出すなよ。しなくていいって。渉が左腕で目元を隠す。 「もう会えないと思ってたのに、水の中で、抱きしめた。あのとき、二人で沈んでしまえばよかったのかな。眠れない夜を、ずっと泣きながら過ごすしかないのかな?」  渉…。手を伸ばそうとした時、突然渉がその手を伸ばした。心臓を掌底打ちされ、身体もないのに息が止まりそうになった。 「オマエが『生きろ』って言った。担架で運ばれる時も、俺の手を握って『生きろ』って言ったろ。…責任とれよ」  朝倉に手を握ったかと確認したのは、そういう――。 「フラフラしてないで、戻って来いよ!」  え? 見えてるの? 当てずっぽう?

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