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第43話 朝は来る

   *    眩しい。やっと昇ったばかりの太陽を見ていたら、目の奥が痛くなった。空には雲ひとつないが、なんとなく空が低くなったような気がした。あれから二ヶ月も経てばそりゃ秋、つーか冬を向かい入れるシーズンなんだろうな。シャツ一枚ではさすがに寒い。  もう少し、陽が昇れば暖かくなるかな。せっかくなので、滅多に見ることのない海を満喫する。砂浜を歩いていると、靴の中がいつの間にか砂だらけになって、歩き辛くなる。靴を脱いで片足ずつ砂をこぼす。  尻ポケットに入っていたスマホが転がり落ちたので手に取った。 「電話、通じないんですよねぇ」  担当看護師が言っていた。意識が回復してから、何度も渉に連絡したそうだが、事件で紛失した携帯電話番号を書いていたようだ。うっかりなのか、意図的になのかわからんが。 『お掛けになった電話番号は…』  試しに通話ボタンをタップしてみたが、やはり同じメッセージだった。  あの事件がなければ、この番号に何度も電話していたはずだ。幸せな気分で「おやすみ」を交わし、スマホ画面が消えると切ない気分になる――そんな夜を繰り返していたかもしれない。 『全てを捨ててどこかへ行こうと思う』  全てって俺も含まれるんだろうか。  どこかってどこなんだろう?  腹と脚に傷は残ったが、何とか回復した。背中にでかい擦過傷もあるが、徐々に薄れてきている。腎臓に裂傷があって意識回復してからも、なかなか体調は戻らなかったが、手足が自由になるとようやくリハビリに励めるようになった。幸い麻痺が残ることもなかったから、飢えたボディビルダーのように筋トレを始めると、場所柄からか、自衛隊に入隊しろと会う人全てに勧誘された。  渉と連絡が取れないだけで、泣きそうなのに。  気持ちを察してか、担当看護師が気にかけてくれて何かと世話を焼いてくれた。不思議だ。昔なら、女も近づかないような狂犬の顔をしていたのに。退院時の服や交通費も工面してくれた。  ぼんやりと波を見ていたらスマホが鳴った。非通知だ。 『今どこにいる?』  秀水は相変わらずせっかちだ。 「退院したんで、波と戯れてます」 『大橋を迎えにやったのだが…』  あいつはいつもタイミングが悪い。と呟きながらも、祝辞をくれる。世話になったことをこちらも伝える。  病院の支払いについてはよく知らないが、支払者の緊急連絡先として、母親の連絡先を書いてないのだろうか。うむ。考えるまでもなく書いてないだろう。もし、そうだったら、彼女も部下をやるなりして何度か見舞いに来てもいいようなものだと思う。一応、事件の内通者ってことに勝手にさせられてしまったわけだし、口裏合わせもしないで反社の男を放置するなんて、まずありえないと思うのだが。恋人を名乗るくらいだから、立場が悪くなるような言動はないと信じてもらえているならありがたい。でも、不審に思ってうろついてくれていたら、渉と連絡を取るために、組織の力を使ってでも全力で連絡を取れるよう計らったであろうと思うと少し複雑ではある。 「渉から連絡ありましたか?」 『すまん。まだない』  母子の間に溝ができてしまったのだろうか。こちらも複雑。  仕事は辞めると言っていたが、念のため警視庁付近と赤羽橋の塒も尋ねてみようと思うと伝える。 『なにかわかったら…』  言いかけて躊躇う様子が伝わったが、「もちろんお伝えします」と言って丁寧にお礼を加えて電話を切った。  萌絵たちが何か掴んでいないだろうか。萌絵の番号をタップしてみる。 『え? は…はい。あ、きゃっ! きゃああああっ』  戸惑いの返事のあと強烈な悲鳴とともに電話が切れた。心臓がバクバクする。なんだ? ヤバいことが?  慌てて朝倉にも電話する。長いコールのあとようやく声が聞こえた。 『なんだ?』  こいつも相変わらずだな。 「も…萌絵がなんか」  普通に話すつもりが、声が上擦ってしまった。鼻で笑うような吐息が聞こえた。 『あいつ今、ジェットコースター乗ってるぞ』 「はぁ。無事なら…」  なんだ、事件じゃないのか。安心したつーか、ジェットコースター? 遊園地かよ。 『ああ、例の事件で在庫ゼロになったからなー。社員旅行でネズミの王国世界一周ツアーに出てる』  ネズミってアンタ。 「カチューシャとかするんすか?」 『後で写メ送ってやろうか?』 「いらないっす。ところで…」  渉と言いかけてこいつとの間であいつをなんて呼んでいたか、忘れた。 『ああ、サクラの猫のことか』  そうだ、そもそもこいつらがあいつの名前を呼ばないから、秀水に土壇場で聞くことになったんだ。あの時の呆れた顔は未だに忘れられない。でも、あいつにしてみれば、潜入にあたって俺の情報をこいつらから聞いていた。だから、奥多摩の事件で俺が召喚されたときに当然、自分の素性についてもこいつらから情報が入っていると考えて当然だったのだろう。 「名前呼べ」とせがまれた時に、素直に聞けばよかったんだ。  ぼんやりしていると、「おーい」と朝倉の声がした。 「社員旅行ってことは休業中ってことですよね」 『ああ。なんかあったか?』  朝倉が明らかに欠伸しながら返す。休業中なら情報交換もしないか。『サクラの猫』と言っているということは、渉が辞めたかどうかも知らないということだろう。 「秀水とは連絡取ってるんすか?」 『はあ? そういえば勧誘されたな。断ったけど。オマエを釣るにはどうしたらいいか聞かれたぞ』 「はあ…」  親子の最後の会話はやっぱり本音トークだったんだなと思いながら、いつもよりはしゃいている感じの朝倉に悪いので、助けてもらったお礼を言って通話を切った。    *  職場である警視庁の辺りをフラフラしていたらきっと、元反社の人間なんていらぬ罪で引っ張られる可能性もあるので、皇居ランナーに交じってお濠を周ってみた。警視庁ほどのでかいビルからたまたま出てくる人が、たまたま探している人だったなんて確率を考えたら馬鹿らしくなって、2周目で日比谷公園へ抜けた。  昼時らしく、お弁当やドリンク片手にベンチで過ごすOLやサラリーマンの姿があった。萌絵が屋台デリとして接触したこともあったと言っていたので、野外でランチを取ることもあり得る。ゆっくりと周回した。園内地図を見ながら通ってない道もくまなく、ゆっくり歩いた。けれどやっぱり探している姿は見られなかった。  車から見た景色を思い出しながら、赤羽橋の塒にも行ってみた。が、驚いたことにオンボロアパートは見る影もなく更地になっていた。  風が吹いて、枯れ葉がカサカサと頭や肩に落ちた。通行に邪魔な大きな木からハラハラと葉っぱが落ちる。疲れたよとでも言っているように、ブロックにもたれかかった枝を見上げながら、あの置物みたいな老夫婦はどこへ行ったのだろうと思った。トシさんヨシさんの顔を不意に思い出して、帰ろうと思った。  渉探しは本腰入れないとダメなのだろう。  計画を立てなければいけない。本格的に探すには、時間が必要なのかもしれない。時間が必要なら金も必要だ。あいつに立て替えてもらっている入院費はいくらだか知らないが、生命維持に使った機械とか日数を考えると途方もない。今のところ農地開拓は無報酬だし、トシさんヨシさんの収穫のおこぼれをもらっているだけの身だし、これではどうにもならない。  考えなければならない。

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