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第45話 想い

 月明りがうっそうとした山道をぼんやりと照らしている。両手の食料が重くってタラタラ歩いた。農家なんて考えてもみなかった職業だが、案外、自分に向いていると思っていたことが恥ずかしい。親切な人達に囲まれて、胡坐をかいていただけだったのだと今更気付いた。それでも、ここで何年か頑張れば、いつか馴染んでいくのかもしれない。けれど、こうして無断で休んでいつ戻るかわからないなんてことが、何度も許されるものでもないと思う。  山の中なのに草の垣根がある、俺の住処にたどり着くとそれでもじんわり安堵感が沸き上がった。門から坂を上っていくと、さすがに玄関も雨戸も閉まっていた。月の明かりで庭を見渡しても、鶏もいないし、小さな畑の野菜も枯れ果てていた。ナスやトマト、渉が作ってくれた料理を思い出し、干からびた実や茎を見ていると喚きたくなって走った。  玄関を開けて廊下を突っ切り、台所のテーブルに両手の荷物を乱暴に置いた。季節のせいか時間のせいか、台所から差し込む月明りがない。手探りで居間の電気をつけると、布団がたたまれて畳の隅に置かれていた。その上には見たこともない羽毛布団も畳んで置かれていた。  あの日、残暑厳しいあの日の名残りがない。帰って洗濯するはずだったシーツやシャツはどうなっただろう。洗濯機を確かめに洗面所と風呂場をのぞいてみるがなにもない。部屋に戻って布団を周りこむと洗濯されたそれらが置いてあった。 「うぁ…」  役場の人かまたは明治が気を利かせてくれたのなら、申し訳ない。  そのまま固まっていたのか、疲れていたのか、夜の寒さに背中が張った。洗濯ものの横に白いリモコンを見つけて手を伸ばす。 「…ザッシー」  借りてもいいかと電話をする。「まだ仕事中だ、好きにしろ」ぶっきらぼうに答える声を想像する。毎日、電話する要件を作ってくれたのに。あんな事件さえなければ、毎日電話で声を聞いていたのに。いや、俺がじゃなく、あいつはそんな大した会話でないものでさえ、求めていたのかもしれない。  俺だけが、全ての人の想いに気付いてなかった。  エアコンをつけると隣の部屋で青いライトが光り、ブゥンと起動する音が聞こえてきて、すぐに消した。リモコンを放って手を握りしめた。  あいつの体温を思い出したい。  あいつの臭いを感じ取りたい。  あいつの声を吸い込みたい。  立ち上がると、あいつを初めて見つけた押し入れを思いっきり開けた。あの美しく白い脚があるわけもなく、何もない押し入れをみて、ため息をついた。 「…ザッシー」  天袋の板が2枚外れたままになっていたが、それがいつからか思い出せない。  こんな、しょうもない俺のどこがよかったのか、わからない。それでも、全身全霊で好きだった。言葉にしなくてもあいつがそう思ってることを俺は知ってた。言わなくても伝わるなんて、生涯であるかないかの奇跡に近い。それでも、俺はあいつの想いを間違いなく受け取っていた。恋人だということを否定しても、あいつは確かに俺を……。  ぼんやりとした視界に白い脚がスーっと伸びてきた。

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