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第46話 理由

 天井からスーッと伸びてきたのは白い蛇かと思った。ぼんやりと発光して見えたのは、瞳が滲んでいたせいかもしれない。光って見えた。ゆっくりと伸びてきて中板に先がつくと、ようやくそれがつま先だとわかった。目の前に膝がある。見覚えのある銃痕、Tシャツの裾。襖を開けた手が脱力して前框に落ちてコツンと鳴った。  スローモーションのそれはまだ続いた。シャツが揺れて薄い身体が見えるようだ。白い腕が天板にぶら下がっている。顔を上げて待った。噛みつきたくなる細い首、とがった顎、うっすらと開いた唇。ゆっくり、ゆっくりと視界が満たされていく。胸を突き破りそうな心臓の音に耐えかねて、声が出た。 「ザッシー……」  視線が合う高さまで、ゆっくりと落ちてきた。濡れた瞳が揺らぎながらも、俺から離れることはない。 「……」  何か言おうとしたのか、渉の唇が震える。大きく息を吐いて、吸って、唇を噛んでほほ笑んだ。疲れているようで、目の下にくまができているが、それでもやはり綺麗だった。 「…心配、かけて悪かった」  俺から先に言う。わずかに首を振ると手をついて腰かける。俺の腰を挟むように脚をぶら下げて座った。血が静かに沸騰し始める。 「戻ってきた…やっぱり、聞いてたんだな」  幽体離脱していた時のことを言っているのだろうか。 「オマエを残して死ねない」  渉が小さく頷いた。かわいい。撫でてやりたい。しかし、今触れてしまうともう、会話もままならなくなりそうだ。 「それより、オマエずっとここにいたのか?」 「本庁に帰る車でオマエを見た気がした。皇居、走ってなかったか?」  …そんな偶然って、あるのか。 「まだ、辞めてなかったのか?」 「テロ集団の内部告発をしたオマエと、本庁刑事は絡んでいた。このタイミングで辞めるとそんな噂にまた火をつけてしまうと、辞表は受け取ってもらえなかった」  反社の俺はなにも傷つかないのに、光が当たる方はどっちへ転んでも叩かれるものなのだな。改心して足抜けした俺が叩かれることはなくなる、秀水の名案だと思っていたのに、そう簡単にはいかないものだ。 「……すまん」  俯くと渉が下から覗き込むように顔を傾ける。 「オマエが悪いわけじゃない」  渉は穴が開きそうなほど真っすぐに見てくる。いままでこんなことはあっただろうか。やたらときめいてしまい、俯いた。見えそうで見えないTシャツのラインがあって、それはそれでときめきどころではなくなってしまうので、横を向く。 「そ、そんなカッコしてたら寒いだろ?」 「今そっちで着替えてきた」  なんか、俺が喜びそうなことを言ってくる。どんな顔していいかわからず口がパクパク動く。渉がまた前から顔を捉えるように顔をこちらに寄せてきた。 「……わかんねぇ」  渉がさらに首を傾げる。 「こんな俺の、どこがいい」  渉が驚いたように、少し目を見開いた。両手をついて少し身体を前に進めた。踵を絡めたのか、腰に巻き付く感覚があった。全身の血が踊って背筋が伸びた。 「お、俺、オマエに乱暴した。出会う前に、眠れないオマエの手を握ってやったとしても、それは優しいからじゃなくて、偶然とか、寝ぼけてたとか…そ…」  口先に触れた指先が、あまりに冷たくて黙った。 「オマエはやさしい」  口先から離れた指先を眺めた。爪の形までも綺麗だ。 「…わかるか、そんなもん」  すねた子供みたいに呟くと指先がそっと頬を横切る。 「初めて会話した時、覚えてるか?」  よくわからん。脚を見て興奮していた。どうにか犯ってしまいたいと必死だったきがするが…。 「キスがうまければ」  あ、そんなこと言ってたなこいつ。逃げるのだろうと思った。そうだよ、欲望むき出しの男を仕事に送り出し、帰ってくるまで家で待つ理由がない。うまいキスってそもそもなんだ? と考えた。 「オマエはそう言ったら、こうやって俺の頬を撫でた」  冷たい指が俺の体温で少し和らいでいた。手のひらを開いて親指が鼻先で動く。ああ、震える唇をこうして触ったな。視線を上げると渉と目が合った。 「目が合うと、ゆっくり近づいてきた」  渉が上体を前に倒してきた。黙っていると渉が続ける。 「目を閉じるまで、待ってた」  本気かどうか知りたかった。罠かもしれないしな。あと、ちょっと、俺としたいって、思ってくれると、本気で待っててくれるかなって思った。  あの時のように、渉が目を閉じるのを待って、そっと唇を重ねた。柔らかい。それしかわからない接触。すぐ離れて目が閉じられたままなのを確認して、もう一度唇を重ねた。頬を撫でる手をずらして首元を包みながら、瞼にもキスをした。腰を引き寄せて、耳たぶにもキスをした。髪先や頬にキスして、もう一度唇にキスした。同じ性でありながら、腕に収まる身体は壊れ物のように感じて、俺を受け入れられるか不安を感じながら抱きしめて、強くキスした。  思い出して唇を押し付ける。 「俺を思っていることがわかった。オマエに…」  舌を絡めると渉の手が胸板に広げられる。あの時はおずおずと広げていた。鼻から零れる息が甘く、角度を変えて舌を転がした。背中で踵が動くと、直に脊髄を擦られている気がして、毛穴が開いた。身震いしそうになって、腰を引き寄せた。密着して空気に触れる部分を減らしたかった。 「同じ乱暴でも、オマエに……」  抱き抱えて身体を捻り、布団の上の毛布を蹴り飛ばすとそこに渉を下ろした。 「もう俺のことしか思い出さないだろ。言わなくていい」  早口で言ってもう一度口接けた。

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