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其の弐

聡一さまが八橋流の師範になられたのは 17歳を迎えられた春だった。 俺は身の回りの世話をする傍らで 聡一さまに弟子入りし 箏を習う事になるのは それから一年後の話になる。 細く美しい指から奏でられる箏の音は 穢れを知らぬ生娘のようで・・・ 旦那様に付き添い 使いに出た街で見た 切子細工を思い出す。 無色透明に透き通る硝子に 美しく施された切子細工。 それはとても繊細で 危うさも持ち合わせて・・・ まるで 聡一さまのお心のような・・・ 俺は 聡一さまの奏でる音を耳にすると 胸が切なさで締め上げられた。 「春太、身が入らないのならば出て行け」 聡一さまの指が止まり 俺に向かって 投げつけられた言葉に 俺は何も云い返すことが出来ず 黙って箏を片付け 失礼しますとだけ残し部屋を出る。 聡一さまは眼が見えぬ分 空気を読み取られる。 きっと 俺は空気を揺らしていたのだろう。 箏の事でなく 聡一さまを想って。 聡一さまが俺に心を開かれる事は 一度としてなく ただ 俺は聡一さまのお傍に寄り添い 聡一さまが望まれる事に 手をお貸しするだけの日々。 何時からだった・・・? 聡一さまのお傍に仕える事が苦しくなったのは。 夜、寝床に入られる着替えを手伝っていた折 聡一さまのすらりと伸びた腿に 指が触れてしまった。 その瞬間 跳ね上がる鼓動。 襟を合わせようと見た胸元から 外せぬ視線。 ゴクリと喉が鳴る。 何故だ・・・? 自分でもよく分らなかった。 跳ね上がった鼓動。 外せぬ視線。 「春太、まだか?」 聡一さまの声に我に返る。 「はい、只今・・・」 俺の声は震えていないだろうか? 俺の動揺を聡一さまに気付かれてないだろうか? そればかりが頭の中を過ぎる。 「春太・・・」 お気づきになられたのだろうか・・・? 「お前は私を抱きたいのか?」 やはり・・・ 「春太・・・抱きたければ抱けばいい」 聡一さまの言葉に顔が歪んだ。 「お前は私の世話ばかりで暇も貰っていないのだろ?  私がお前の相手をしてやる」 嗚呼・・・ 聡一さまは怒ってらっしゃるのだ。 聡一さまに触れ 聡一さまの肌を見て 欲情してしまった俺に・・・ 「お前のその醜い感情を吐き出さねば  箏にも集中できぬだろ?  今日のあれは何だ?  私の一番弟子がそれでは私が笑い者になってしまう。  ただでさへ眼が見えぬことで馬鹿にされているのに。  お前は私にこれ以上、恥をかかせたいのか?」 何か・・・ 何か言葉にせねば・・・ そう思うのに・・・ 唇が動かない。 聡一さまのその言葉に 俺など聡一さまの 恥にこそなれ それ以上の存在になれぬと実感する。 初めてお会いした日から分っていたことだ。 聡一さまと俺は 主と使用人であり 今は師弟関係。 それ以上になれることなどないと 分っているのに 何故、こんなにも胸が痛むのだろう。 眼の前にある 聡一さまの鋭く光を宿した瞳。 その瞳は 俺を見ていない。 分っているのに。 聡一さまの眼には俺が映らぬと。 これから先も ずっと 決して 俺が映ることはないと 分っているのに。 俺は聡一さまの中には居ないのだと。 これから先も ずっと 決して 聡一さまのお心の中に入ることなど 許されないのだと 分っているのに。 夙うの昔に気付いていたことなのに それが とても哀しくて。 締め付けられる胸の痛みに 初めて 俺は 聡一さまに恋焦がれていたことに 気付いた。

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