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第3話
「宇治宮様」
山吹の枝に結ばれた文を、女房の一人が私に差し出した。先日の一件があってから、帝は藤壺にいらっしゃることがなくなった。その代わり、毎刻のように文が届く。直接手渡されることはなく、いつも無人の場所に置かれている。今回は簀子にぽつねんと置かれていたという。
枝ごと受け取ると、黒方の移り香が鼻をくすぐり、私は自身の疼きを覚えた。帝の匂いを感じるだけで、あの均整の取れた胸板にどのように抱きしめられ、麗しい指先でどう触れられたかを思い出してしまうのだ。気づかぬふりをしてなんとかやり過ごすが、どうしても熱が治まらない夜半などは、文に囲まれて己を慰めることもあった。そうしたときは、帝の欲を滲ませた瞳を思い返すだけで、ひとたまりもなく果ててしまう。私はあの日以来、淫らな身体になってしまったのだった。
むず痒い自身の熱を無視し、私は文にさっと目を通した。文の内容は、私が本日何をしているか尋ねるものだった。それから、帝の直近のご予定について少しと、私がお聞きした漢籍の質問に対する答え。いつに変わらぬその中身に、私は安堵のため息をついた。今日は普段よりも文が届くのが遅かったので、何かご機嫌を損ねるようなことを書いてしまったかと焦っていたのだ。
初めこそなんと返せば良いものか悩んでいたが、私は内心、帝からのお返事を心待ちにしていた。一人の男性として憧れていた帝とあれきりお話しすることもなくなってしまうのだろうかと考え鬱々としていたところ、こうしたやりとりが始まり、曇り空から光芒が差しこんだかのような心地であった。直接お会いすることはまだ難しく、そうした現状に寂しさもあるが、しかし、私たちはこれで良かったのだと思うようにしている。それはやはり、帝と桐壺様のご関係を何より貴く、大切にしていただきたいと考えているからだ。
空いた時間を勉学にあて、帝のご訪問が頻繁になってから疎かになりがちだったぶんを穴埋めしても、なお時間が余りある。そこで、私は久方ぶりに笛を吹くことにした。本当は桐壺様や東宮様にお会いしたいのだが、私がどなたかと対面するのを帝が厭うので、極力藤壺から出ぬように生活しているのだ。それに、桐壺様方のもとでは帝と鉢合わせする可能性が高く、それはまだ気が引ける。また、私はもともと内にこもりがちな質(たち)のため、お二方のもと以外に訪ねる先はほぼないのだった。
笛を手に取ろうとすると、控えていた女房に「せっかくですから、藤を愛でながらお吹きになってはいかがですか」と声をかけられた。年のほどは五十。髪は少し薄いが、しっかりした身嗜みときびきびした動きが若々しい。彼女は確か大弐(だいに)と呼ばれていた。最近嵯峨と入れ替わりで私付きになったため、直接話すのは初めてだった。
私付きの女房は皆、半年ほどの周期で変わってゆく。よほど私のもとでは勤めづらいのだろう。私の性格に難があるに違いないが、自身では原因がわからない。それゆえ、彼女たちとどのように接したら良いか迷うばかりで、庭を見たいとなかなか言いだせずにいた。そのため、大弐の申し出は非常にありがたかった。
「あの、そうします。お願いします」
すると、隅に控えていた女房たちが四人がかりであっという間に几帳をずらし、畳を移動させ、庇(ひさし)(母屋と簀子の間の部屋)に私のための席を用意してくれた。
御簾が巻き上げられ、視界いっぱいに広がる南庭には、今を盛りと藤が咲き誇っている。この飛香舎(ひぎようしや)が藤壺と呼ばれる所以だ。私は脇息(きようそく)(肘かけ)にもたれながら、ほうっとため息をついた。目に染みるような鮮やかな紫を眺めていると、帝が藤の見頃を楽しみにされていたことを思い出す。ひと枝差し上げようかと考え、否とすぐにその考えを打ち消した。せっかく離れたのだ、自ら距離を縮めるわけにはいくまい。畏れ多いことながら、文の返事も数回に一度のみと決めているのだ。しかし、帝のあの麗しいかんばせが優しく微笑むのをつい想像してしまう。私にとって父であり兄である帝を無碍にすることは、どうにも難しい。
ひいひゃら。まとまらぬ考えを霧散させるように、笛の音を鳴らす。如何ともし難い、誰にも明かすことのできぬ胸の内を、音に乗せて飛ばしてしまいたい。何曲も思いつくままに吹き鳴らしていると、突然甲高い叫びが響いた。そばに控えていた大弐が鋭い誰何の声をあげる。
「何者ですか!」
その勢いに押されて草木の影から現れたのは、白い猫だった。まさか、この猫が人語を操ったわけではあるまい。呆気に取られていると、おそるおそるといったていで、十歳ほどの子どもがあとに続いて出てきた。小さいながらも立派な文様の直衣を纏った少年は、おそらく殿上童(てんじようわらわ)だ。彼は私たちの視線から逃げるように俯きながら、小さくあごを引いた。会釈のつもりなのだろう。そして、早足で猫に歩み寄る。一瞬のすばしこさで猫に両腕を伸ばしたものの、あと少しのところで躱されてしまった。
「あっ」
「こら、あなた、宇治宮様の御前で失礼でしょう!」
我に返った大弐に一喝され、地団駄を踏んでいた少年はびくりと肩を震わせた。みるみるうちに、瞳に大粒の涙が盛り上がる。
「ごっ、ごめんなさいっ……」
彼は良い家の子に違いなく、このように叱られることなど稀なはずである。怯えた様子で大弐と私を見比べて、視線を彷徨わせているのが哀れだった。
「いいんです。まだお小さいですし、そんなに責めないでください。……君はそちらの猫を捕まえたいの?」
簀子の端までいざり出て、高欄の下で小馬鹿にしたように伸びをしている白い猫を指差すと、彼は私の目を見てこくこくと頷いた。大弐がよほど恐ろしいらしく、どうやら私を頼みに思っているようだ。その様子がいじらしく、何かしてやらねばと思わされる。
「この猫はどなたかの飼い猫?」
「あ、……あの、誰のかは知らないんです。でも、頭中将(とうのちゆうじよう)様に捕まえて来いと言いつけられたので……」
殿上童とは、元服前に昇殿(しようでん)(清涼殿にある殿上(てんじよう)の間(ま)という、公卿たちが執務を行う場所へ出入りすること)を許された身分の高い家の子たちのことをいい、彼らは蔵人所(くろうどどころ)(天皇家の秘書官たちの詰め所)で雑務を任されることが多く、今回の捕り物もその一環なのだろう。よく見ると少年の衣はところどころ汚れており、かなり苦戦しているのが窺える。
「そう。それじゃあ私も一緒に捕まえよう。二人がかりのほうがきっとうまくいく」
そして階(きざはし)(階段)を下りようとしたところ、控えめな制止がかかった。ふた月ほど前に私のもとへやってきた、土佐守(とさのかみ)という華奢な女房だ。
「宇治宮様、わたくしどもがお手伝いしますから、宮様はこのままお寛ぎください」
曲がりなりにも宮である私が、下働きのようなことをするのは褒められたことではない。確かにそうかもしれない。しかし、私はまだ元服もしていない子どもだ。子どもなら庭を駆け回っていても不思議はないはずだ。そのようなことを考えてしまう私は、我ながら捻くれている。
十六という年は本来、決して子どもではない。目の前の少年のように童形で出仕している者や、すでに官位を賜り活躍している同年代の者もいる。帝が私の元服を認めてくださっていたら……畏れ多くも、そう恨めしく思うこともあるほど、彼らを見かけるたび、私の心には焦燥が滲み、ねじけていくのだった。
そんないじけた内心をつい吐き出しそうになり、言葉につまった私に気づかぬふりをしてくれた大弐は、小さく頷いた。
「あまり遠くに行かず、少しの間だけですよ」
「はい」
帝のお顔が頭をよぎる。彼の方のご機嫌を損ねるかもしれないと考えると少し逡巡してしまう気持ちもあるが、目の前の困り果てた様子の少年を助けてやりたい思いのほうが強かった。こうして、二人がかりの猫の捕り物が始まった。
猫は少年から少し離れたところで四肢を投げ出し寛いでいる。しかし、私たちがいざ近づくと、のらりくらりと逃げてしまう。すばしっこい猫でないことが唯一の救いだが、あと一歩のところで躱され続けるのは悔しいものがある。
猫に翻弄されながら、私たちは気づけば清涼殿と弘徽殿(こきでん)を繋ぐ廊の前に立っていた。猫は床下で前足を舐めている。さすがに床下に潜るのは躊躇われたが、陽も翳ってきて時間がない。さっと周囲に視線を走らせ、誰もいないことを確認した私は、少年とともに猫のあとを追うことにした。
「君はそちらから、私はこのまままっすぐ進むよ」
そして、二人で呼吸をあわせて身を屈めた矢先、少し離れたところで話し声が聞こえた。振り返ると、清涼殿から続く簀子を歩く高貴な方々のお姿があった。
お一人は、藤原 家兼(ふじわらのいえかね)様。御年四十二で、右大臣(うだいじん)を務められている。帝のきさきであらせられる、麗景殿女御(れいけいでんのにようご)様の父君である。またお一人は、堀川大納言(ほりかわのだいなごん)と呼ばれている、源 高昭(みなもとのたかあきら)様。三十五の男盛りで、数多の女性との逢瀬を楽しむ色好みな方と有名だ。さらにお一人は、藤原 円(ふじわらのまどか)様。十六にして左中弁(さちゆうべん)(文書作成などを行う文官)の役職を賜っており、また、笛の名手として名を馳せている。お若い左中弁様は紅の色味が強い二藍、堀川大納言様は抑えた色味の二藍、壮年に差し掛かった右大臣様は縹色の直衣を纏い、皆様悠然と歩いていらっしゃるお姿が目に眩しい。日常着である直衣を着て参内できるのは、勅許を得た者だけだからだ。
(あ、危なかった……)
もし床下に潜るはしたない姿を見られていたならば、不名誉な噂が立っていたに違いない。それは親である帝と桐壺女御様のお顔に泥を塗ることと同義だ。ほっとしながら隣の少年に目をやった私は仰天した。少年がすでに床下に潜りこんでいたからだ。彼はようやく猫を捕まえ得意満面の様子だが、腕の中では猫がもがいている。お三方がこちらを通りがかった瞬間、猫が飛び掛かりでもしたら大事になってしまう。待ってという声を出すのも憚られ、私はとっさに、少年同様床下に潜りこみ、彼の腕を上から押さえつけた。
簀子の軋む音が大きくなるにつれ、少年も誰かが近づいているのに気がついたらしく、目を丸くした。私たちは固唾を呑みながら、何事もなくお三方が通り過ぎるのを願った。
「当今(とうぎん)(当代の天皇)は本当に仕事がお早い」
「あの決断力、判断の正確さ、まったく見事と言うほかございませんね」
「源中納言殿に代わって、堀川大納言殿にお役を任せたのはさすがでした」
ふふふと笑いあう声には、源中納言様への嘲りが垣間見える。まつりごとに携わったことのない幼い身ながら、私にはお三方の物言いが不思議だった。源中納言様は、いつも丁寧に心配りをしてくださり、人望が厚い方だったと記憶している。それゆえ、私は彼の方に後見人になっていただけるのならばたいへんありがたいことだと思っていたのだ。その後とんと音沙汰がなく、源中納言様の女(むすめ)を添臥の姫にという話は立ち消えになってしまったのだが、もしや帝が何かなさったのだろうか。そう思ったところで真実を知るよしもなく、私は胸をざわつかせるしかないのであった。
「御代が変わってからまだ疫病の流行もありません。天も帝の代をお認めになっているのでしょう」
「才気、美貌、そして魂で惹かれあう伴侶の存在……すべてをお持ちで、まるで絵巻物から抜け出てきたような方でいらっしゃる」
「我々貴族たちの意見も満遍なく取り入れてくださり、協調姿勢でいらっしゃるところもありがたい。次代の摂政(せつしよう)(天皇の後見役)を狙う左大臣殿からすると、帝には早々に退いていただきたいのでしょうがね……。私はこの御代が長く続くことを願っていますよ」
「ええ。しかし、こうして後宮を歩いていても、色にときめく楽しみが減ってしまったのだけはいただけませんね」
「主上はもはや思い定めた方がいらっしゃる身。色事は不要なのかもしれませぬが……」
「ああ、私が出仕する前は、後宮には数多の平多の女房たちがいたと聞いています」
「平多に限らず、主芙婀や男女伽もいたのですよ。下男も同様です。後宮全体が今よりもっと若く、艶やかで、特につがいなしの男女伽たちが放つ香りは、我ら主芙婀には甘美でたまりませんでした」
「御簾からふと漏れ出る色香に誘われて、あちらこちらで熱く楽しい夜が繰り広げられていましたね」
「ここ数年、つがいのいる男女伽以外はことごとく内裏からいなくなってしまったのが残念です。以前の後宮内に漂う淫靡な空気感が懐かしいときもございますよ」
「ええ、そのとおりです。邸の女房も悪くはないのですが、いかんせん妻の目がございますからね」
「橘少納言(たちばなのしようなごん)殿の二の君(次女)が男女伽だと聞きましたが」
「あれはだめです。とんだ末摘花(すえつむはな)(『源氏物語』に登場する不細工な女性)ですよ」
「おや、すでに手折られていたのですね」
彼らが話す内容に私は驚いていた。平多の身である私には主芙婀や男女伽の香りがわからないため、女房の性別がいつの間にか男女伽ばかりになっていたとは気づかなかった。
男女伽はつがいができると生理的につがい以外との契りを受けつけなくなる。ゆえに、彼らは後宮でひと夜の遊びができなくなったと嘆いているのである。
「最近は市まで繰り出して庶民の女と逢瀬を楽しむこともございます」
「たまには悪くないですな」
「市には男女伽の男もいるそうですよ」
「毛むくじゃらだったら私は抱けないぞ」
わははと笑うお三方にさらに驚く。市に繰り出してまで女人と交わるなど、考えたことがなかったからだ。確かに源氏の物語では市井の女と契りを結んだ描写はあったが、あれはあくまで物語ゆえの話だと思っていた。
後宮で暮らす私が大内裏の外に出るということは滅多になく、外出するとなれば一大事だ。今後、臣に降り源(みなもと)姓を賜ったのちは京のどこかで暮らすのだろうが……。
当代の御世はすでに最上の治世と讃えられており、私などの出る幕はないのかもしれない。しかし、やはり私は帝、そして息子の東宮様に至るまで、彼らの治世を支えたく思う。なぜなら、帝と桐壺様には返しきれぬほどのご恩があるからだ。その気持ちは、今となっても変わらない。
お三方の足音が遠ざかったのち、私と少年はおそるおそる床下を這い出た。二人とも裾に砂がつきひどい有様だが、猫を無事確保できたので良しとする。
「昔は官位を授けられたお猫様もいたそうだよ。どなたの猫かはわからないけれど、きっとこの子も大切にされているに違いない。連れてゆくときは丁重に扱ってね」
真っ白な毛並みは、大切に手入れされていた証拠だ。きつく猫を抱きしめる少年にそう忠告して、手を少しばかり緩めさせた。猫は観念した様子で、少年の胸に体を預けている。これならば再度の脱走はなさそうである。
少年と別れて振り返ると、桐壺様の父である三条左大臣(さんじようのさだいじん)様が、女房を二人従えて清涼殿から出てこられるところだった。恰幅の良いお身体を包む直衣は、先ほどのお三方のものよりさらに上質で縹色の染めも淡く美しく、権勢を誇っていることがよくわかる。焚き染めた香りは気高く、臣下の一の人にふさわしい威厳のあるお姿だ。桐壺様とよく似た美しく穏やかな、しかし桐壺様より意志の強そうな瞳をほころばせ、私を見つめていらっしゃる。慌てて頭を下げれば、左大臣様は「気楽に」と仰った。
「お久しゅうございます」
「はい、左大臣様も、ご機嫌麗しく……」
左大臣様とは、左大臣様がまだ内大臣であらせられた頃、桐壺様の殿舎で何度かお会いしたことがある。まつりごとの中枢におられる方との対話はとても緊張してしまい、あまり話を弾ませることができなかったのだが、根気強く私の言葉を聞いてくださったことを覚えている。左大臣様の誠実なお心映えは今も変わっていないようで、私のつかえつかえの挨拶に、にこやかに応じてくださった。
「宇治宮様は最近、特に勉学に励まれていると聞いていますよ。ご立派なお心掛けですね」
「は、はい。これまでより時間を延ばして学んでおります」
「それは良い。宇治宮様もいずれは大人になられる身。勉学は必ず身を助けてくれますぞ」
そう言う左大臣様は、とても上機嫌に見える。
「桐壺様が幼少の頃、特にお歌と琴の勉強をさせました。姫君の教養ということもありますが、勉学を通じてさまざまなことを知れば、人間に深みが出ると思ったからです」
「た、確かに。あの、桐壺様の素晴らしいお人柄は、左大臣様の教育の賜物なのですね。私は昔からき、桐壺様のお優しさにっ何度となく救われてまいりました。こちらに引き取られてからっ現在に至るまで、桐壺様とお話しするたびに明るい気持ちになり、父の死や自身が天涯孤独の身ということを忘れられたのです」
桐壺様のことを思うと、すべて本心から言葉がするすると湧き出てくる。左大臣様は、そんな私の言葉に優しげに頷かれた。
「宇治宮様は、桐壺様のことをたいへん慕ってくださっているようですね。畏れ多くも女御の父として、まことにありがたいことです。桐壺様も宇治宮様のことを我が子のように可愛いと仰っておりましたよ。最近お会いできずに寂しいとも」
「ほ、本当ですか……」
「ええ、今しがたお話ししてきたところです」
左大臣様がちらりと後ろを振り返る。清涼殿には女御様方が控える局があり、左大臣様は先ほどまでそちらに伺候されていたのだという。
「しかし、宇治宮様の勉強の邪魔はできぬということなのでしょうね、近頃また桐壺様に帝からのお召しが増えているそうで、なかなかお会いする機会が作れないようです」
左大臣様は帝と桐壺様の仲睦まじい様子に、これ以上自分が同席することは無粋だと思い、場を抜けてきたのだと仰った。
(お二人が以前のように仲良くいらっしゃるのであれば、言うことはない……)
左大臣様のご機嫌が良いのはおそらく、ご自身の娘が帝と仲睦まじい様子を目にしたからなのだろう。私の勉学を邪魔しないために……というのは事実とは異なるが、結果的に今、桐壺様も左大臣様も間違いなく幸せであるならば、このまま私は父離れしてゆくのが正解なのだ。今の私は間違ってはいないはずだと、改めて強く感じたのであった。
それからいくつかの宮中行事を経た。末席に参加した私は、御簾越しに帝のお姿を拝見したが、御簾越しでも伝わるご威光に畏怖と尊敬の念を改めて感じることとなった。
貴族や皇族は総じて主芙婀の数が多いのだが、彼ら主芙婀ですら、帝の風格の前では太刀打ちなどできようもない。主芙婀の香りを感じ取れぬ平多の私でも、自然と首を垂れてしまう威厳があった。それは、帝と二人のときにも時々感じることはあったが、二人の際には畏れ多くもそれ以上に甘く優しく接していただくことばかりで、久しぶりに帝の威儀堂々とした姿を目にした私は、委縮しながらも、これほど素晴らしくご立派なお方に息子同然に育てていただいたことを誇らしく思うのだった。
しかし、息子同然だからこそ気づくこともある。普段と比べ、少しお声が掠れているような気がした。動作もほんのわずかばかり緩慢なように感じる。のちに聞いたところによると、ここ三月ほどの間、帝は寝食も惜しみ、何かに急き立てられるかのように政務にあたられていたのだった。あまりの身の削りように、周囲の人々がお休みするよう進言してもいっこうに聞き入れてくださることもなく、もしこれが他の人物であればとうに倒れていてもおかしくないほどだったという。子どもゆえか私はそのようなことも知らされず、まったくの蚊帳の外であった。しかし、同時期に桐壺様から懐妊の知らせを受けて納得した。なるほど、帝は桐壺様と御子たちのために、がむしゃらになられているのだと。
あいかわらず帝から届く文の内容は私がおとなしくしているかを問うようなものばかりで、帝ご自身のことはほとんど何も知らされず、いつまでも元服させていただく見込みもなく、子どもの私は藤壺で一人、日がな一日勉学に打ちこみ暮らしていたのだった。
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