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 離婚当時、仕事に忙しい父親は孝弘の世話をするために家政婦さんを雇っていたそうだし、近所のお祖母ちゃんが孝弘に料理を教えたりと実の孫のように可愛がってくれたことも聞いている。  母親と連絡をしているかも知らないし、あるいはもう10何年も前に別れた母親のことをあれこれ考えたりすることはないのかもしれない。  それでも一人っ子だった孝弘が寂しくなかったかどうかは分からない。母親を恋しく思ったことがあったのかもしれない。     孝弘が高1のとき父親は再婚して、今の母親とは2年半しか一緒に住んでいないが、関係は悪くないらしい。小学生の義弟は親戚の子って感じと言うが、ほとんど一緒に住んでいないからそれも無理はないだろう。  再婚当時、仲が悪かった(と言うより一方的に突っかかられたらしい)義妹とも最近はそうでもないようだ。離れて暮らしているから突っかかりようもないだろうが…。  心に浮かんだ家族のことは口に出さず、週末の買い物の予定を話しながら食べているうちにアクアパッツァはほぼ空になっていて、祐樹はバゲットでソースの残りをきれいにさらった。 「あ、そうそう、もうすぐ犬鍋の季節だから誘われるかも」  孝弘が少し気遣うように言い出した。日本人は犬を食べることに抵抗感を持つ場合が多い。だから心配したようだ。 「あー…、犬はまだ食べたことないな」  大連には街中に狗鍋《ゴウグオ》と看板の上がった店があちこちにある。  広州も大概色々な食材があるし、当然、犬肉もあったが口にする機会はなかった。というか何となく避けていた。  特別な嫌悪感はないが、やっぱり犬と聞くとなんとなく味が落ちる気がしていたからだ。食べるのは日本でペットとして飼うような犬ではないと知っているけれど。 「無理して食べる必要ないよ。日本人は犬を食べる習慣がないんだって断ればいいだけだから」 「うん…。わかってる」  はっきり言わないと何度も誘われるので、そこを孝弘は心配したようだ。もっとも自分の意見を表明することに慣れている中国人は「犬は食べたくない」と正直に断っても「そうなのか」と大抵はあっさり受け入れて気を悪くしたりはしないので気が楽だ。 「孝弘は食べたことあるんだよね?」 「あるよ」 「おいしい?」 「まあまあ。普通に肉。別に臭くもないし、スープはうまいよ」 「そっか。…どうしようかな」  中国人スタッフの朴栄哲と孝弘と3人で行った食肉市場の光景を思い出しながら、祐樹は思案した。  赴任して間もない9月の終わりに、親睦会でバーベキューをしようという話になった。朴栄哲と孝弘が市場に買出しに行くと言うので興味を引かれて祐樹もついて行った。  広州や深センでは日系スーパーが近くにあって欲しい物はたいてい手に入ったので、そういう大きな市場には行ったことがなかったからだ。

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