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 仕事場での祐樹はかなり押しが強くてはきはきした離し方をするし、数字の駆け引きもうまい。領事館のパーティや各種交流会でも社交的に会話するし、人当たりのいい笑顔で親しみやすい人だと思われている。  つまりオフィシャルな祐樹はわりとできる人なのだ。でもプライベートは意外とそうでもないと孝弘は知っている。  かなりインドアだし面倒くさがりで、休日は一日パジャマのままベッドから出なくても平気なタイプだ。  さほど散らかすわけじゃないけど掃除はほどほどだし、食事は放っておいたら、キムチ卵ご飯とか納豆ご飯で適当に済ませたりする。  ご飯のおともに一番好きなのは?とこの前訊いたら、めんつゆ明太子バターごはんと答えが返ってきた。確かにうまそうではあるが、祐樹の外見からは想像つかない食べ物だ。今度、めんつゆと明太子が手に入ったら作ってもらうことになっている。 「大連駅って上野駅がモデルなんだっけ?」 「そうなのか? 知らなかった」  孝弘が首を傾げると「昨日見た『地球の歩き方』にそう書いてあった」と祐樹が笑う。 「へえ。上野駅がどんなのだったか覚えてないんだけど」  駅舎を見ても上野と似ているか、孝弘にはわからなかった。 「おれも似てるかわからないけどね」 「駅には行っても、駅舎なんて見ないしな」 「だよね。とりあえず、中山広場《ヂョンシャングワンチャン》に行っていい?」 「いいよ。大連っていえばやっぱ中山広場だろ」  のんびり歩いて15分ほどの広場に向かう。 「日本統治時代の建物って保護されてるんだっけ?」 「全部じゃないけど有名な建物は歴史文化財になってたと思う」 「せっかくだからいくつか写真撮ろうかな。何だかんだ言ってそんなに行く機会もないし」  中山広場の周囲には、日本統治時代に建築された建物が多くある。祐樹は特に歴史に興味があるわけではないので、大連に住んでいると言ってもわざわざ満州時代の遺物を見に行ったことはない。  孝弘にしても、数年前、初めて大連を訪れた時にタクシーで何カ所か通りかかりに見て回っただけだ。建物自体は今も使用されていて、外観しか見ることができないものが多い。 「大連らしくていいんじゃね。大連賓館とか中国銀行とか」 「大連賓館って旧ヤマトホテルだよね?」 「そう。改装して営業してるな。俺は泊まったことないけど雰囲気いいって評判いいよ」  日本統治時代に建てたルネッサンス様式の建物は外観や内装を損ねないように客室などは改修されて、今もホテルとして使用されている。  そんな話をしているうちに広場に着いた。  中山広場は市内中心部の道路が放射状に延びる美しい作りで、日本統治、ロシア統治時代はそれぞれ大広場、ニコラヤフ広場と呼ばれていた。  周囲には日本統治時代に建築された欧風建築物が今も多く残っていて、ちょっと中国とは思えない雰囲気なのだ。

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