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黒いワルツ(1)
「サエさん…すいません」
「何ー?」
「帰りたいです」
「えええー何でー?」
突然、そう言い出した僕に…サエゾウは、唖然としながら聞き返した。
「曲が…出来そうなんです!」
「…マジかー」
そんな事を言われてしまったら…流石のサエゾウも…黙って応じるしかなかった。
彼は若干シュンとしながら…出口に向かった。
「本当に…すいません」
「いーよいーよ…しょうがないよー」
そして僕らは、その美術館を出て…急ぎ足で駅に向かった。
電車に揺られながら…サエゾウが言った。
「その曲作んの、俺にも手伝わせてくれないー?」
「えっ?」
「お前の頭ん中のメロディー…俺に弾かせてー」
「…」
そんな難しい事…出来るんだろうか…
「上手く伝えられるか…分かりませんけど…」
「ダメだったら諦めるー」
僕は目を閉じて…必死にそのメロディーを、頭の中で何度も何度も繰り返した。
それからスマホを取り出して、思い浮かんだ歌詞を、どんどん打ち込んでいった。
取り憑かれたように、そんな作業に没頭する僕の様子を…サエゾウは黙って見守ってくれていた。
地元の駅に着いて…僕らはとても早足で、再びサエゾウの家に向かった。
部屋に入ってすぐに…サエゾウはPCの電源を入れると、打ち込みソフトを立ち上げてくれた。
僕がやりやすいように、鍵盤の画面も出してくれた。
そして、彼がギターのセッティングをしている間に…僕はその頭の中のメロディーを、画面の鍵盤に落としていった。
「…3拍子なのー?」
ようやくギターの音を出しながら…サエゾウは訊いた。
「はい…」
「今弾いてたのって…イントロー?」
「あ、はい…」
「ちょっと歌ってみてー」
言われて僕は、そのイントロのメロディーを歌った。
聞きながら彼は…それをギターで再現していった。
「こんな感じー?」
「はい、まさにそんな感じです!」
「とりあえず記録しちゃうか…ドラムはどんな感じがいいのー?」
マウスを操作しながら、サエゾウは言った。
「もう普通に…ズンチャッチャ…みたいな、ワルツのリズムがいいです」
「…こんな感じか…」
彼は、まるで僕の思い通りのドラムパターンを…スラスラと打ち込んでいった。
「イントロは…そのリフを1回でいいー?」
「あーちょっと崩して2回がいいかも…」
彼は、すぐに…その流れるドラムパターンに乗せて…イントロのギターリフを、録音していった。
「サエさん…すごいですね…」
「歌メロは出来てんのー?」
「だいたいですけど…」
「じゃあ、それ…このリズムに乗せて歌ってみてー」
言われて僕は、それを歌ってみた…
もちろん、すぐに形になる訳では無かった。
何度も試し歌いながら…僕は、その歌メロを…Aメロ、Bメロ、サビ…と歌い分けながら、その流れを固めていった。
僕がそんな風に練習している間に…サエゾウは、キッチンに行って煙草を吸うと…冷蔵庫から、昨日の残りのハイボール缶を取り出して、プシュッと開けた。
ああ…お腹空いたって言ってたのにな…
頭の隅の方で、チラッとそんな事を思いながらも…僕は自分の作業に没頭していた。
しばらくして、僕は彼に言った。
「何とか纏まりました」
「んじゃ録ろうー」
こっちに戻ってきたサエゾウは…マウスを操作しながら続けた。
「イントロの後に、歌ってー」
「…歌だけでいいですか?」
「んーなんか、こんな感じのリフ入れたいってとこがあってら、それも分かるように入れてー」
「…わ、わかりました」
「行くよー」
カチッと録音ボタンがクリックされた。
僕は…とにかく、歌メロと…雰囲気が伝わるように…その曲のAメロからサビまでを歌い上げた。
いったん停止をクリックして…サエゾウは続けた。
「そんで…その先の構成の計画もあるー?」
「あ…はい…この後すぐに間奏…っていうかギターソロになって…2番いって…終わりな感じです」
「んじゃそれも…何となくでいいから歌えるー?」
「…やってみます…」
そして再び、録音クリックの後に…僕は、その先の間奏からの…2番からの…サビの繰り返しや、エンディングの感じを…全て声で奏でていった。
「ふうん…なるほどねー」
停止クリックを押して…サエゾウが呟いた。
「…こんなんで大丈夫ですか…?」
僕は不安気に訊いた。
「うん…解釈が合ってるか分かんないけどー」
言いながら彼サエゾウは、持っていたハイボール缶を、僕に手渡した。
そのままギターを抱えてPCの前にドッカリと座ると…彼は、今録音した僕の歌をスピーカーから流した。
そしてそれを聞きながら…ギターを鳴らして、コードを探っていった。
「…」
「あの…サエさん」
「…」
「お腹…空いてるんですよね…」
「…」
「何か…買って来ますね…」
すっかりその作業に入ってしまったサエゾウに、僕の声は、全く届かなかった。
僕のために…
僕の作った曲のために…彼がここまで集中して没頭してくれている事が…僕は嬉しくてたまらなかった。
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